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No Regret another side

電話編



 近江神宮から帰ってきてもうすぐ一ヶ月が過ぎようとしている。千早の住む街のそこかしこでもバレンタインデー用のディスプレイがあり、「お泊まり会」で菫が言っていた事を否応なしに思い出させる。
『私なら連休利用して、チョコ持って会いに行っちゃいますね。普段なかなか会えない相手なら尚更じゃないですか』
 ショーウインドウの前で千早は足を止め、胸に溜め込んでいた息を吐き出す。白く尾を引いて呼気が空へ上ると、もう空にかかる雲に紛れて見分けが付かない。
(……菫ちゃんみたいな勇気、私にはないかも……)
 奏や菫から、後悔だけはしないようによく考えて新に返事をしろと言われて以来、千早は自分の気持ちが誰に向いているのか、どういう感情を持っているのかずっと考え続けてきた。

 最近の千早はまず「自分にとっての新」を、まるでノートに箇条書きするように挙げるようにしていた。そこから何か見えてくるかも知れないと思っての試みだった。
『私にとって新は、憧れのかるた選手』
『いつか堂々と渡り合いたいライバル』
『大事な友達』
『なかなか会えない人』
『でも会いたい人』
 そんな風に考えていくうち、結局自分は新を知りたいのだというシンプルな結論にたどり着いた。
(……学年末の試験と進路指導があるから、無理だよね……模試もあるはずだし……)
 でも、と千早はショーウインドウの中をもう一度覗き込み、ぐっと拳を握って自分に気合いを入れると、自動ドアの中へ一歩を踏み出した。

 「わあ……」
 毎年原田にはチョコレートを渡していたが、心持ちが違うだけで同じ店内でも全く違って見える。小さく区分けされた箱に詰まった様々な種類のチョコレートがまるで宝石箱のようにも思えた。
(……そう言えば新って、甘い物好きだったっけ……? 良く考えたら、そういう事とか新に聞いた事、ない……)
 甘すぎるチョコを贈っては、逆に迷惑だろうかと千早の顔が曇る。
「いらっしゃいませ。チョコをお探しですか?」
 にこやかな笑みを浮かべた店員が千早に話しかけてきた。
「えっと……あの、はい。……ただ……」
 慣れているのか店員は千早が続きを話すのをじっと待っている。
「チョコとか甘い物とか、好きかどうか聞いた事なくって……苦手だったら迷惑かなって思ったら、何か……」
「……大丈夫ですよ。贈るのはチョコではなくて、お客様の『想い』です。……失礼ですが、贈られるお相手の方のお気持ちはまだ聞かれていらっしゃらないんでしょうか?」
 相手の気持ち、と言われて千早の脳裏に浮かぶのは、決定戦の後のあの光景だ。
『好きや、千早』
 新の声音が、今耳元で言われたかのようにはっきりと思い出されて千早の顔が真っ赤に染まる。
「お相手の方のお気持ちはもう聞かれてらしたんですね。でしたらなおのこと大丈夫ですよ。お客様がその方のイメージにぴったりだと思う物を自由にお選びになって宜しいかと」
「……イメージ……」
 そう言えば新は以前、試合前にあの古いアパートの部屋を心に描くと教えてくれた。
(あの時のかるたは……私にとっても大事な宝物なの。だから、それを新に伝えたい……新からその話を聞いた時、気付いた事を……)

 「あのっ、これにします」
 ショーケースの中を見た時、宝箱のようだと最初に感じた小さなチョコの詰め合わせを千早は指さした。
「かしこまりました。ラッピングはいかがなさいますか?」
「あ、お願いします。……えっと、地方発送も出来ますか?」
「承っております。今、送り状をお渡し致しますのでお待ち下さい」
 店員がチョコに綺麗なラッピングとリボンをかけてくれている間に、千早は鞄から一通の封筒を取り出した。千早が好きな、ダディベアのレターセット。
 中には「かるたを教えてくれてありがとう」という感謝の言葉と、夏休みの課題で出た短歌二十首の中から、新の事を思い出して詠んだ歌をいくつか書き写しておいたが、「好き」という言葉を千早は敢えて手紙には書かなかった。
(……それは、自分の口で言わなきゃいけない事だから……)
 店員に手渡す前に千早はその封筒をそっと胸に抱き、新の所へこの「かささぎ」が上手く橋を架けてくれるようにと祈る。
「お手紙もご一緒に同封ですね? ……ではこちらが送り状でございます。太枠の中をご記入ください」
 千早は携帯の電話帳を開き、新の自宅があるあわら市の住所を記入していく。受取人名の欄に新のフルネームを書き込むのさえ、何だかくすぐったい。送り主の欄に自分の住所と名前を書き込んで店員に渡し、十四日必着で発送をお願いして千早は店を後にした。

 「はあー……な、なんか緊張しちゃった……」
 原田先生に渡すチョコ選びではこんなに緊張した事はなかった、と改めて思い出す。
(あれって、毎年先生が『私にはワイフが』って言うのが何となく分かってたからなのかなあ……)
 千早自身、「好きな異性のタイプ」と問われたら今までなら即座に「かるたが強い人」と答えていた。受け取る側の原田もそれは知っている事で、毎年バレンタインデーに千早が原田にチョコを渡そうとし、原田が「愛する妻がいる」と真正面から断るのは、師弟間のお遊び的な意味合いの方が大きかったかも知れない。
 けれど今年は、贈る相手がそのチョコを気に入るかどうか未知数だ。だから心のどこかに不安があり、それと同じだけ気に入ってくれたらという希望がある。
「……何にしても、十四日。届いたら……電話、しよう。……今の私に言える事、伝えよう」
 大事な試合の時そうするように、拳で胸をどん、と一つ叩いて千早は家路についた。

 数日という時間はあっという間に流れていった。新の食べ物の好みは聞いた事がなかった千早だが、南雲会の練習日が毎週火・木・日曜という事は知っている。今年の二月十四日は幸い、練習日に当たっていない。学校から帰り、課題や夕飯、入浴をすべて済ませて千早は自室に入って深呼吸を繰り返す。
「はぁ……すごく、ドキドキする……」
 携帯電話に新の番号を表示させるまでは手慣れた動作だった筈が、緑色の受話器が描かれた「通話」ボタンを押す、たったそれだけの動作にもの凄い思い切りが必要だった。
「……すぅ……はぁ……、え、えいっ!」
 ぎゅっと目を閉じて、通話ボタンにかけた親指に力を入れた。単調な呼び出し音が受話器から聞こえてくる。
『……もしもし』
 久しぶりに耳にする、新の普段通りの声に、心臓がドキンと大きく跳ねる。
「あっ、あの……千早、だけど……」
『う、うん。……あ、えっと千早、チョコレート、どうもありがとう。……美味しかった』
「あ、と、届いてた……んだ。よかった。……新、甘い物好きかどうか聞いた事なかったから、ちょっと心配だったんだけど……甘すぎたりとか、なかったかな……」
『うん。……まあ確かに普段は自分で買うてまで食べる方ではないんやけど、あれ本当に美味かったし……ち、千早が送ってくれたもんやし』
 ごちそうさま、と福井のイントネーションが千早の耳に届き、ほうっとため息が漏れた。

 「あ、あのね……新。てっ、手紙入れておいたんだけど……み、見た?」
『……うん。短歌が三つほど書かれてたけど、あれ千早が詠んだんか。凄いな』
「前に、学校の課題で二十首作れって言われてさ。他のは部のみんなに、出せば出すほど点数下がるって言われたけど、その三つは……特別なの」
 千早は入院中、新に電話をかけた時の事を話す。
「新とは電話で繋がってるのに、何だか違う国に居るみたいに遠く思えて。苦しくて苦しくて仕方なかった時に、新が言ってくれた。……試合する時はあの部屋に戻る、って。それ聞いた時、苦しい気持ちとかがスッと溶けてなくなったみたいで……。その時、よく分かんないなりに思ったんだ」
 新は口を挟まず、千早の言葉に耳を傾けている。
「……きっと私は一生、かるたが好きで……、あ、あ……新が、好き、なんだって……」
 受話器の向こうから、細く尾を引くような息が漏れているのが聞こえる。
「……新?」
『……ありがとう。それ、聞けて……すごく、嬉して』
 そう告げてくる新の声が震えている。
『あー、みっともないな、おれ……高校生にもなって、男が泣くとか……みっともないわー……はは』
 時々すすり上げながら無理に笑おうとしている新の声が千早の胸に切なく突き刺さった。
「みっともなくなんか、ないよ……嬉しくて泣くのに男も女もないんだし……。それに何かね、私も……新のそういう面って今まで知らなかったから、ちょっぴり、嬉しい」
 当の新が泣いている時に言うのもどうかとは思うが、千早は正直に告げる事を選んだ。
『うん……ほやの、うん……』







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written by Hiiro Makishima