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No Regret 5-a

R18版



 そっと手を重ねた時、指先が他とは違う感触を感じ取った。新が視線を落とすと、それは千早の右手人差し指に残る手術の傷跡だと分かる。
「……内軟骨腫、やったっけ? 大変やったの……」
 高二の夏の選手権団体戦決勝。相手選手とぶつかった事で症状が顕在化した事は幸運だったのかも知れないが、千早本人にとっては普通ではない痛みの中で試合を続けなくてはならなかっただけに、気軽にそうも言えないものだった。
「んー、試合はともかく一週間入院してる間、素振りもしちゃいけなかった方が辛かったかも。試合のDVD見てるとつい身体動いちゃうし」
「ああ……前に電話でほんな事言うてたな。今は痛かったりせん?」
「うん。もう全然何ともないよ」
 千早が朗らかに答えると、新は片手で千早の右手をそっと持ち上げ、間近でその傷跡をじっと見る。それからゆっくり顔を近付けると、まるで貴婦人への礼のようにその傷に唇を触れさせた。
「……?!」
 突然のキスに千早は驚きに目を丸くし、新に手を取られたまま動けないでいる。それでいて鼓動だけは勝手に速まってしまい、新に聞こえやしないかと気が気でならなかった。

 「……あ、新……?」
 戸惑いを声に乗せて名を呼ぶと、新は千早の手を取ったまま、ようやく顔は上げてくれた。眼鏡越しの新の目には、今まで見た事のない光が宿っているように思えた。
「……千早」
 新も面と向かって言うのは恥ずかしいのか、空いている方の手を口の脇に添わせ、千早の耳元で内緒話をするように顔を近付けてきた。
「だ、抱いても……いい、か……?」
(ゆ、言っつんた……)
 福井と東京で離れていた時間と、告白してから今日までの時間で、新自身気持ちが一杯一杯になっていた。そして千早の口から彼女も自分を好きだと聞いた今、抑えがきかなくなっているという自覚はうっすらあった。

 鼓膜を打った新の言葉がなかなか頭に入ってこない。そして新が言った「抱く」という意味が一体どの行為を指すのか全く見当が付かなかった。
「新……それって……その、あの……ぎゅってする方の意味じゃ、ない、事……?」
 どうにかそう聞き返すと、千早の耳元に寄せたままの新の顔が縦にこくんと動く。
「嫌やったり、怖かったりするんやったら……せんとく(しないでおく)し、千早がしてもいいって思ってくれるようんなるまで、待つ、けど……」
 いつも聞く新の声とは違う、少し掠れたような声がそう告げてきた。

 嫌なら待つ、と言われて千早は自分の心に問い掛ける。
(私、さっき傷跡にキスされて……嫌とか怖いとか、思った? ……ううん、驚いたのは間違いないけど、嫌じゃ……なかった……)
「あの……新。……い、嫌じゃ……ない。けど、私からもお願いして、いい……?」
「もちろん、いいざ。……どんな事や?」
 言葉にするための思い切りをつけようと、千早は深呼吸を何度か繰り返してから、ようやく口を開いた。
「……ここじゃ、なくって……。あ、新のお部屋に行きたい、かな……って……」
 それを言うだけでも顔が熱い。目の前にいる新がふっと笑った気がした。
「分かった。……大した部屋でもないけど。……あ、荷物おれ持つわ」
 新は床から立ち上がり、千早のボストンバッグを肩に担ぐと、片方の手を差し出してきた。千早は立ち上がり、その手をきゅっと握る。新の先導で階段を上り、襖を開けて部屋に入る。その何でもない事さえ、神社の拝殿に通される時のような何か特別な儀式のように感じられた。

 「ここが、新の部屋……」
 中に通された千早は新と手を繋いだまま、周囲を見渡しながら呟いた。
「ほんなどっかの前人未踏の遺跡んたな(みたい)に言わんでもいいがの」
 妙に大袈裟に聞こえ、新は苦笑いを浮かべながら言葉を返す。
「だって初めて入ったし。……でもなんかやっぱり、新らしい感じの部屋だよね」
「……どんなんか良う分からんな、それ」
 床に千早のバッグを下ろしながら答える。正直、階下でああ告げた分、どうやって今ここで再開させたらいいのかと、そんな事ばかりが頭をぐるぐる回っていて一杯いっぱいの気分ではあった。
「ねえ、新……きゃっ」
 振り向いた千早の腕を思い切ってぐっと引き、倒れ込んできた細い身体を新は自分の身体でしっかり受け止めて背中に腕を回した。

 抱き締められ、新の胸板に置いた両手に力強い鼓動がはっきりと響く。
「……新……」
 顔を上げると思いの外近くに新の顔があり、千早はどんな表情を浮かべたらいいのか分からなくなってしまう。頬や耳がひどく火照って熱いぐらいだった。
「ち、はや……」
 呟かれる自分の名前にすら、心臓がドキドキと高鳴ってどうにもできない。新の顔がゆっくりと近づいてきて、頭であれこれ考えるより早く、千早の目蓋はそっと閉じていく。目の前が完全に真っ暗になった途端、唇に柔らかく暖かい何かが触れたのが分かる。
(……これって……新の、唇……? ……わ、私いま、新としてるんだ……キス……)
 頭がぼうっとして、立っているのが畳の上だと思えないふわふわした感覚が千早の全身を包む。ただ決して嫌な感覚ではなかった。
(息が……続かないよ……新……)
 何しろ初めての事だけに、唇を重ねている間呼吸をしていいのかさえ分からない。けれど身体は新鮮な空気を求めて息を吸おうとする。
「……っ」
 頬にかすかな呼気が感じられる。新の息だと分かった途端、千早の緊張が解れて呼吸が楽になった。

 新もまた、千早の息が頬を撫でていったのを感じ取り、触れ合わせていただけのキスをもっと深くしたい欲求に駆られた。閉じていた唇の隙間からそっと自分の舌を出し、千早の閉じた唇の間を優しく寛げていく。
「……ん……っ……」
 今まで耳にした事のない、千早の鼻に掛かったような甘い声は新の頭の芯をくらりと揺るがせる。もっとその声が聞きたい、とさらに口付けを深くしてぎこちなく舌先を千早の口へと差し込んでみる。
「……っ、ん……ぅ……」
 胸板に添わされていた千早の両手の指先にくっと力が入る。
(……やっぱ、抵抗あるやろか……)
 不安に思って新は一度口付けを解いた。どこかぼうっとしたような千早の瞳が自分を見上げているのに気付き、新はそっと口を開いた。
「千早、今の……嫌やった……?」
 顔色を窺うように問われ、千早はまだ少しだけ現実感が薄いままかぶりを振って新の問いに答えると、千早を抱き締めたままの新の口から安堵の息がこぼれ落ちる。

 「……あ、ちょっとゴメン。……カーテンだけ引いとくわ」
 一度抱擁を解き、新は隣に面した窓のカーテンをぴったりと閉めて千早の前に戻ってくる。自分が着ていたパーカーを脱いで畳の上に無造作に落とすと、恐る恐る手を伸ばして千早が身に着けていたジャケットの身頃に指先を滑らせ、肩口から身頃を後ろに滑らせて脱がせる。その指先が震えているのを感じ取った千早は、そっと新の手を押さえ、唇が震えるままどうにか笑みだと分かる表情を浮かべた。
「……なに?」
「は、恥ずかしいのは……私も新も同じだし……。だ、だから……自分で……。出来る、とこまでは……」
 こんな言葉を人に言う日が来るなどと、つい昨日まで思ってもみなかった。けれど同じように不慣れな新の懸命さを見ていたら、自分も同じようにしたいと思い、千早は震える指でカットソーをたくし上げて頭から引き抜いた。
「千早……無理は、せんといての。……でも、ありがとう」
 千早の健気さは新の心を強く揺さぶっている。泣きたくなるような不思議な気分のまま、新はパーカーの下に着ていた長袖のTシャツを脱ぎ捨て上半身裸になる。
(自分で出来るとこまで、って千早が言うてくれてるんや。おれが恥ずかしがってどうするんやし……)
 意を決してジーンズの前を開け、足首まで引き下ろす。それを見た千早も自分のタイトジーンズを恥ずかしそうに脱ぎ、くるりと背中を向けると両手を背中に回してブラのホックを器用に外す。両腕で胸を隠したまま新の方に向き直った千早の姿は、新から理性を根こそぎ吹き飛ばしかねない魅力があった。

 「……あかん。おれ……本気で我慢出来そうにないわ」
 そう言うと新は自分が身に着けていた最後の一枚を慌ただしく脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になった。彼に倣って千早もそうしようとショーツに指を掛けるが、流石にそれを引き下ろす事は出来ないようだった。
「無理せんでいいって、言ったが? ……そうしようとしてくれた、気持ちが嬉しいんやし」
 そう言いながら千早を再び抱き寄せると、千早の身体は逆らわず新の腕の中に収まった。
「……おれがいつも使こてるベッドで悪いんやけど……」
 ゆっくりと千早をその上に仰向けに寝かせる。枕の上に頭が落ちた時、長い髪がふわりと舞って千早の顔の上に落ちた。それを指先で直してやりながら、新は千早の身体の上に覆い被さって、さっきのように唇を塞ぐ。
「……んっ……」
 新のキスに素直に応じてくる千早がまた、甘ったるい声を出す。それが嬉しくて新は口付けを深くし、さっきよりも大胆に舌を差し入れて千早の舌を捉えに行く。
「ん、っふ……ぁ……」
 口内の熱い感触や、舌を絡めた時に聞こえる濡れた音がますます新を駆り立てて止まない。

 キスを解かないまま、新は片手をそっとずらして形良く盛り上がった千早の胸をそっと手のひらで包むように触れてみた。
「……ん、んっ……!」
 千早の上げる声のトーンがまた変わる。艶めかしい声に思わず唇が離れてしまった。
「凄い、柔らかいんや……」
 喉仏を大きく上下させて生唾を飲み込み、新は身体の位置をずらして白く柔らかな胸の先にある、可憐なピンク色をしたそこに唇を這わせた。
「あ、っ……。……ん、ぅ……っ!」
 新の唇が触れた途端、千早の背中がびくんと大きく跳ねる。だが思わず漏らした声が恥ずかしかったのか、唇を噛んでしきりに首を左右に振っている。
「……ほんな噛むと、口痛いやろ……」
「でも……声、出ると……恥ずかしい、から……」
 蚊の鳴くような声で言われたそれがあまりにもいじらしくて、新は空いている方の手を千早の口元に持って行く。
「ほんなら、おれの手でもどこでも噛めばいいで。……唇はやめときね? ……それにの、おれ……さっきんたな(さっきのような)千早の声、聞くの好きや。……なんか、嬉しいっちゅうかさ」
 千早の顔が見る見る真っ赤に染まる。片手を千早に預けたまま、新は顔を伏せ、さっきの続きに戻った。







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written by Hiiro Makishima