保湿系トライアルセット

Mine Side-C 8

R18版



 頭が冷静になってくると、新に謝り忘れていた事があったと気が付いた。
「ごめんね、新。……ずっと持ってた価値観、捨てさせちゃって……」
 元はと言えば自分の軽はずみな言動が招いた事だったのに、受け入れてくれるなら捨てると新に言わせてしまった。抱かれた事は後悔していないが、新の考えを枉げさせたのは同じだ。そんな風に思っていると、静かな声が応えてくる。
「……今思うと、価値観って程でなかったんかもな」
 言いそびれていたし、これも出水の受け売りだと前置きして新は言葉を継いできた。
「一緒に生きていくって決めた気持ちの前では、結婚してるかどうかは大した問題にはならんやろ、って」
 もっと正確に引用するなら「紙切れ一枚の差」と言われた、と。
「そん時、思ったんや。拘り続けるのと、千早が安心するのと、おれはどっちが大事なんやって。大体、千早がまた笑えるようにどうすればいいか、って理由で先輩に相談乗ってもろたのに」
 千早に笑顔が戻るなら、価値観だと思い続けてきたものを捨てるのも厭わない。それは自分で決断した事だと新が明確に言い切ってくれた。

 「ありがとう、新」
 安堵できた途端、いきなり思い出した。
「……って、え? 今……って言うかさっきもだけど、出水先輩に相談した、って言った?」
 何故さっきまでの会話ではさらっと聞き流してしまったのか、千早自身分からない。新はあっさり「言った」と答えてくる。
「それって、先輩全部知ってるって事? は、恥ずかしすぎるんだけど……」
 確か新は「自分がしてしまった事も含めて相談に乗ってもらった」と言っていた。だとすれば今日、こうして二人が結ばれた以外の全てを出水に把握されていると言える。顔どころか身体中真っ赤になりそうだった。
「大丈夫やって」
 そんな自分を新が少しだけきつく抱き直してくれる。
「茶室の中では絶対嘘言わん、そこでした話は必要がない限り外に持ち出さん、って」
 だから知らない振りをしてくれると思う、と新は笑って言葉を返してきたが、突然その笑みが苦笑に変わった。

 「……茶室でした話やったら、おれへの質問の方がもっと恥ずかしかったざ」
 出水は「誤魔化すならそこで話は終わりだ」と先に新を牽制してから問うてきた。
「……おれの欲求もやけど、自分でする時、まあ平たく言うとオカズ。何使ってしてるんや、とか」
 これが真面目な話でなかったなら、練習に行けないレベルで恥ずかしい、と新は困ったように笑う。
「真面目な話なのは分かるけど……なんで先輩、そんな細かい事まで聞いてきたの?」
 その質問が新の相談とどう結びつくのかピンと来ず、新に尋ねてみた。
「おれ自身の覚悟もやけど……色んな事ひっくるめて、おれの心ん中に何があるか、何を考えてそうしたか、把握したかったんやろの」
 新はそこだけ真面目な口調で返事をしてくれる。
「千早を安心させたいって理由、何で注意したんかっていう動機、その裏にある、おれの中の衝動や欲求、ショックを受けた千早に自分は何が出来るんかって事……」
 それらへの答えを導き出すために洗いざらい答えさせたのだろう。

 「で、おれが千早としたいっていう衝動とか欲求を抑えてる理由は何や、って。答えたら言われた。ほんな価値観捨ててまえって」
 さっき話した修復不能な別れを始めとする、受け入れがたい展開全てを出水は予想してくれたのだろうと言葉を重ねてきた。
「照れたりとかで言えんかった事があった、ってさっき話したやろ。……信じて欲しくて、包み隠さんと話すのは、大切な相手だけでいいんや、って教えてくれた。あれでおれも決心できた」
 そう言っている新の顔に再び苦笑が浮かぶ。
「……まあ男同士やで言えた事やとは思うけど。……て言うか男同士でも自分でする時のオカズとかまで突っ込んで聞かれるとかってレベルの話は滅多にないやろけどの」
 そう言えばさっきもそんな単語を耳にした。

 「新は何て答えたの?」
 そう問うと視線の先に居る新がぎくん、と固まって「そこ聞くんかし」とぼやき、それでも耳を貸せと言い、千早は新の口元に耳を寄せる。
「ここしばらくは、どうしても乱暴した時の千早が頭に浮かんでて、出来んかった。それより前は、千早の裸想像して、してたけど……今日からはもう、リアルな千早に置き換わってるで空想は要らんけどの。実物見たし」
 あまりにも率直に、そして実物と言われてどう返していいのか今度は千早が固まりそうだった。
「まあ、いいけどさ。……オカズっていうのはよく分かんない」
 また新が難しい顔をする。
「もっと露骨に言わなあかん? やる時に自分を興奮させる材料。他のもんはビデオ見たりするやろけど、おれは姿の記憶が一番イメージしやすい気する」
 試合前に懐かしいアパートを脳裏に描く新らしい一言だった。

 言うだけ言って楽になったのか、今度は新が逆に千早にはそういう事がないのかと問うてくる。
「……ないよ。って言うかそもそも自分でした事がないし」
 その言葉に新が目を丸くして、そういう所は男と女で違うのかと変に感心した口調で言ってきた。
「おれ千早に飛び付かれたりした時って、部屋帰ったらしてたけど。……まあ男は時々ガス抜きせんとあかんし、せんとくと自制心飛ぶしなあ」
 ガス抜き、という例えに今は千早も頷ける。そこに新が「千早が欲求不満になったらする事もあるかなと今ちょっと思った」と畳み掛けてくるが、そればかりは何とも言えない。
「けど自分に深く結びつくものって話なら、私は声の記憶が強いと思う。初めて新から好きって言われたの思い出す時、やっぱり最初に声思い出すし。姿もすぐ思い出せるんだけど……どういう訳か原田先生との試合風景に結びついちゃってて」
 声の記憶、という自分の返答に新も千早らしいと言葉を返してくれた。

 「まあ、する必要出てきたら、教えてや。……ほんでも千早にはそこまで必要ないかの」
 どうして自分には自慰の必要がないだろうと言えるのか不思議に思っていると、新がくつくつと笑いながら言う。
「帰省でもせん限り、おれ居るがの」
 それは新の言う通りなのだが。
「したいって言ってくれれば、いつでもするし」
(え、それ、私から言うって事……?! そんなの、何て言えばいいか、余計分かんないのに……)
 どう言葉を返せばいいのか戸惑うところに、新が助け船を出すように優しく言ってくれた。
「……おれかって千早とする方がいい」
 赤くなった顔を見られたくなくて、新の腕の中に潜り込む。けれど自分の答えは決まっている。
「うん……」
 実際言えるかどうかは分からないが、言えたら新はきっと応えてくれる。それは千早の中に確信として留まっていた。




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written by Hiiro Makishima