Mine 9
|
汗だくな事も気にせず抱き合っていると、千早が身じろいで呼吸が整ってきたのを示す。 「ごめんね、新。……ずっと持ってた価値観、捨てさせちゃって……」 「……今思うと、価値観って程でなかったんかもな。さっき言いそびれてたし、また先輩の受け売りやけど……」 一緒に生きていくと決めた気持ちの前では、結婚しているかどうかは大した問題にはならないだろうと言われた。 「そん時、思ったんや。拘り続けるのと、千早が安心するのと、おれはどっちが大事なんやって。大体、千早がまた笑えるようにどうすればいいか、って理由で先輩に相談乗ってもろたのに」 千早に笑顔が戻るなら、価値観だと思い続けてきたものを捨てるのも厭わない。それは自分で決断した事だ。はっきり新は言い切った。 「ありがとう、新。……って、え? 今……って言うかさっきもだけど、出水先輩に相談した、って言った?」 「……言ったけど」 「それって、先輩全部知ってるって事? は、恥ずかしすぎるんだけど……」 千早の顔がどんどん熱くなっているのを合わさった肌が感じ取った。 「大丈夫やって」 新は笑って抱く腕に少し力を入れる。 「茶室の中では絶対嘘言わん、そこでした話は必要がない限り外に持ち出さんって。知らん顔しててくれると思うざ?」 それに茶室で話した内容で言えば、新への質問の方がもっと恥ずかしいものだった。 「誤魔化すんならそこで話終了やー、って釘差されて。……おれの欲求もやけど、自分でする時、まあ平たく言うとオカズ。何使ってしてるんや、とか。真面目な話でなかったら、もう練習行けんレベルで恥ずかしいわ」 真面目な話だとしても何故そんなに細かく問うたのかと、千早に聞かれて新は表情を引き締める。 「おれ自身の覚悟もやけど……色んな事ひっくるめて、おれの心ん中に何があるか、何を考えてそうしたか、把握したかったんやろの」 動機と理由、と出水は言っていた。新の裡にある衝動や欲求、そして先日の一件でショックを受けただろう千早に自分はどうすればいいのか。それへの答えを導き出すために洗いざらい答えさせたのだ。 「で、おれが千早としたいっていう衝動とか欲求を抑えてる理由は何や、って。答えたら言われた。ほんな価値観捨ててまえって」 それが「何かの拍子に欲求への抑制が利かなくなったら」という、おそらく修復不能になる話に繋がり、「二人で話し合って決めた別れならまだ気持ちの整理はつく」という示唆も受けた。出水は最悪の展開を予想してくれたのだろう。 「言えんかった事があった、ってさっき話したやろ。……信じて欲しくて、包み隠さんと話すのは、大切な相手だけでいいんや、って教えてくれた」 あれで新もはっきり決心できた。 「……まあ男同士やで言えた事やとは思うけど」 あそこまで明け透けに話すのも、そう滅多にある事でもないだろうが。 「新は何て答えたの?」 その短い問い掛けに固まってしまう。 「……そこ聞くんかし……。あー、まあ実物見た後やし、言ったかっていいか。……耳貸して」 開き直って、ここしばらくは出来なくなっていた事も含めて、茶室の時と同じ答えを千早の耳元で告げた。そして今日からは、以前の空想を圧倒的に凌ぐリアルな千早の裸体に置き換わるだろう事も率直に言った。 「じ、実物って……まあ、いいけどさ。オカズっていうのはよく分かんない」 「もっと露骨に言わなあかん? やる時に自分を興奮させる材料。他のもんはビデオ見たりするやろけど、おれは姿の記憶が一番イメージしやすい気する」 「……千早、そういう事ないんか?」 自慰の経験自体がないという答えに、新は驚きに満ちて目を丸くした。 「そこら辺、男と女でやっぱ違うんか。おれ千早に飛び付かれたりした時って、部屋帰ったらしてたけど」 男の生理として時にはガス抜きの必要もあり、また千早の感触が引き起こす欲求がつのれば自制心も崩れてしまう。 「……千早が欲求不満なったら、する事もあるんかなー、って今ちょっと思ったけどの」 「そこまでは分かんないよ。けど自分に深く結びつくものって話なら、私は声の記憶が強いと思う」 初めて新から好きだと言われた時も、その言葉が先に甦り、それから姿を思い出していた。ただ姿の方は試合風景と結びついてしまった、と抜群の「感じ」を備える千早らしい言葉が返ってきた。 「まあ、する必要出てきたら、教えてや」 けれど千早はそこまで必要でもないだろうと言葉を継ぐと、視線の先で千早がきょとんとしていた。その顔に新は答える。 「帰省でもせん限り、おれ居るがの。したいって言ってくれれば、いつでもするし。……おれかって千早とする方がいい」 千早が真っ赤になって腕の中に潜り込む。それでも蚊の鳴くような声で、うん、と答えてくれた。 「あ、そや。身体痛かったりとかないか? 何ともないんなら、買い物付き合って欲しいんやけど」 「平気だよ。買い物って、いつものスーパー? 何か嵩張る物とか?」 新は笑ってかぶりを振る。 「行けば分かるでさ。仕度しよ」 身体を起こして服を身に着け始める。千早はしばらく背中のファスナーと格闘していたが、どうにか上げきったようだった。 「ファスナー背中にあるのって脱ぎ着大変そうやなあ」 「……袴の方が慣れてる分、楽。だから新のその意見に全面的に賛成」 くすくすと笑い合って歩き出す。 行けば分かると言った通り、アパートからそれなり距離のあるショッピングモールに連れて来た。 「洋服買うの?」 多分そう聞いてくるだろうと思った言葉が千早の唇から飛び出した。 「……それも行けば分かる。別に変なとこ連れてく訳でないでさ」 不得要領に頷いた千早が新の後に従う。 「え? ここ? ホントにここ?」 ファンシーショップの前で足を止めると、千早は店舗と自分とに繰り返し視線を動かしていた。 「うん。千早に何か買いたいって思ってた。ちゃんと仲直り出来たらって話になってもたし、身勝手な希望にまで変わってたけど」 そう言って千早の手を取り、安価なアクセサリーが置いてあるケースに連れていく。それこそ千早が言った通り、何週間か前に服を買い足した時に偶然目に付いたと話した。 「……こんなの、とか。おれ千早の指輪のサイズ分からんで、合えば」 シンプルなデザインのファッションリングを指で示した。 「どうなんだろ。普段着けないから自分でも分かんないなあ」 戸惑っているような声に、試してみろとわざと急かすように言った。躊躇したのか、サイズ表記が同じ隣のリングで千早は試していた。幸いそれは千早の指に合う。 「合うんなら、買ってこ。……ちょっと待ってて」 さっき示したリングを手に、新はすたすたとレジに向かう。 「お待たせ。……おれちょっと喉乾いた。自販機で何か買うで、もうちょっと付き合うてや」 「え? あ、うん。私も何か飲も」 館内表示を頼りに、自販機が置いてある休憩スペースに移動して適当に飲み物を買う。ベンチに腰掛けてペットボトル飲料に口をつけてから、新はさっき買った小さい紙袋をポケットから取り出した。 「……つけてみて?」 千早は袋の中から出したデザインリングをまず右手の指に通す。 「出来れば左手につけてもらいたかったんやけどなあ、おれ」 「……なんか一足飛びすぎない?」 まあいいかと笑ってもう一つの紙袋も千早の手に乗せた。 「かるた取る時、外すやろ?」 飾りのないチェーンネックレスが手の平にこぼれ落ちる。既婚者の結婚指輪ぐらいは大目に見てもらえているが、華美な装いは避けるという競技規定がある。だからかるたの時は指輪をそれに通しておけば無くさないだろう。そう言うと顔を綻ばせた千早は、右手に着けていたリングを左の薬指に通して見せてくれた。 「言っとくけど。今はもう、仲直りの印ってだけでないでの? それ」 ふと思い付いて告げてみる。 「……え?」 どんな反応を返してくれるだろうか、と少しわくわくした気分で続きを口にした。 「名札に似てるんかな。……おれのもんや、って」 「……そんな犬の首輪みたいに言わなくたっていいじゃん……」 しかも鑑札付きだとぐちぐち文句を言う、膨れっ面の千早につい声を立てて笑ってしまう。 「まあ間違うてはえんな。おれのやし」 「じゃあ私のだ、っていうのは?」 それこそ千早が思う通りでいい事だ。 「仕返しすればいいがの。受けて立つわ」 仕返しはちょっと横に置くけど、と千早が話し始める。 「さっきちょっと、って言うか大分変な事考えた」 何だ、と聞き返すと、指に通したリングを見せて言葉を継いできた。 「普段すごい照れやすいのに、すたすたお店に入って周りの視線スルーしてたし、買うのに抵抗少なそうな物いっぱいあったのに、選んだのこれじゃん」 そこまで変な事だろうか。そう問うと今のは前置きだと言われてしまう。 「あ、そうやったんか。……ほんで変な事ってどんな事?」 「何かね、目の前にいるのはホントに私が知ってる新なのかなって。実は双子の兄弟でしたー、みたいなオチだったらどうしよう……って考えてた」 突拍子がないにも程がある。笑いがこみ上げてどうしようもない。 「何『のくてえ(バカな)』事言うんや、って話やが?」 普段はなるべく使わない、地元でしか通用しないだろうベタな福井弁までをも、ついつい言ってまで大笑いしてしまった。 「あー、もう腹、ひっで痛ぇ……!」 笑わされた分、きっちり仕返しはさせてもらおうと千早にしか聞き取れない小声を耳元で告げた。 「双子の兄弟の方で良かったんかし? ……エロい声あんだけ出しといて」 すぐ目の前にある耳が真っ赤になっている。直球すぎただろうが、本音だ。だから続きをそのまま言う。 「……もし本当に双子やったかって、おれは嫌やぞ? 相手おれでないとか、抱いたのが千早の双子の姉妹やったとかさ?」 「うん。だから、ごめん」 素直に謝ってくれた千早の手をそっと取った。 |