保湿系トライアルセット

Mine 5

R18版



 日曜の朝、部屋のチャイムが鳴るのを新はじっと待っていた。千早が来てくれるかどうか、それさえ今の新には分からない。
「気が変わって、やっぱ顔見とないって思われたかって仕方ない。おれはそれに何か言う資格が、まだないんやから」
 この間の事をまだ謝れてもいない。思っている事、言えなかった事を全部話す決心はしているが、千早が聞きたくないというなら、それもそのまま受け入れるしかない。部屋の時計は、そろそろ約束した時間に差し掛かっていた。
「───ッ!」
 玄関から聞こえた呼び鈴の音に、新の身体が一瞬竦む。胸に溜まった息を吐き出してから、新は立ち上がった。
「……千早」
 鉄扉の向こうに立っているワンピース姿に一瞬安堵するが、千早は俯いて視線を合わせてこない。
「とにかく、上がってもらえるか……?」
 この部屋に入る事自体、千早にとって苦痛かも知れない。おずおずと切り出すと、千早は黙って頷いた。

 どこでも好きな所に座ってくれと告げ、新自身は玄関から一番遠くなる、押し入れ側の襖近くで正座になった。いつもは閉めている、部屋とキッチンを仕切る襖は開けてある。そして玄関の鉄扉にも施錠していない。理由が何であれ、千早が去るのを妨げないように、追い掛けないようにしたかった。
「……」
 少し躊躇いを見せた後、千早は新の前、ちょうど競技線を挟むあたりに正座している。視線は合わせてくれないままだが、話を聞いてもらえそうな態度に新は少しだけ気持ちを落ち着けられた。今までも大切な事を話す時そうしてきたように、新は畳に両手を付いて頭を下げた。
「まず謝らせてください。あんな……強姦寸前な事を千早にして……。本当に、申し訳ありませんでした」
 深々と頭を下げたまま、新は言葉を紡ぎ続ける。
「……そんな言葉だけじゃ足りんやろうし、謝った所で千早に許されるとも思ってない。その後のメールにも何の返事も出せんままで、変な態度取り続けて……その事も含めて、千早を酷く傷つけて……ほんとに、ごめん……。もう耐えられん、顔も見たくない、話聞きたくないって思われても仕方ない事やのに……それでも謝るチャンスを、おれにくれて。本当に、ありがとう……」
 新は頭を上げず、後は全て千早に委ねた。

 「あ、の……頭……上げてくれるかな……」
 少し固い声が降ってきた。逆らわずゆっくり顔を上げた視線の先に、同じように畳に手を付いている千早が居た。
「……この前の、こと。あれは私のせいだった。新はちゃんと、言葉で伝えて、叱ってくれていたのに。私が甘い事考えてたから、分かっていなかったから新を追い込んで……本当に、ごめんなさい」
「いや、おれは……」
 謝ってもらう立場にない、と言いかけた時、千早が「言い訳を許してほしい」と問うてくる。新は短く答えて話の続きを促した。
「あの時『出来ない』って……。新が優しい性格だから言ってしまった。新の事をバカにするとか、甘くみてるとか、そんなつもりじゃなかった。……だけど、真面目に話してくれてる時に、口にしていい言葉じゃなかった。考えが足りてなかった。……ほんとうに、ごめんなさい」
「おれの事は、いいんや。……千早も、頭……上げて」
 どこか強張った動作で千早が上体を起こしてくる。今度はちゃんと新に目線を合わせてくれていて、勝手な感情だとは思うがそれが嬉しかった。

 「……嫌でなかったら、聞いて、もらえるやろうか」
 千早は頷いてくれた。交際を続けてくれるかどうかは分からないが、あんな事に至った理由だけはちゃんと話そうと新は口を開く。
「今まで話した事なかったと思うけど……おれはセックスって結婚してからする事やっていう価値観を持ってる。ほやから正直、千早がじゃれついて来たりすると、おれはいつも、衝動や欲望を抑えなあかんって……そうしてきた。ほやけど出水先輩に言われたんや」
 つい先日、自分達の様子があまりにも変な事を訝しんだ出水に茶室へ連れて行かれ、自分がしてしまった事も含めて相談に乗ってもらったと新は正直に言葉を継いだ。

 「おれがその価値観に拘って我慢し続けて、何かの拍子にその堰が切れたら。……暴力振るってでも言う事きかせて、本当に千早を犯す事かってある、そうなったらもう、その先には謝る事もやり直す事も出来ん、決定的な別れしか待ってえん、そう言われた」
 二人で話し合った末の別れなら、まだ心の整理がつくだけマシだとも告げてきた、と新は話を続ける。
「……それに、今度の事そのままにしてたら、おれも千早も壊れてまうって。おれらの関係だけでなくて、何もかも壊れてまうやろう、って」
 これまでにも照れたり、口にするのに抵抗があったりで言葉にしなかったものが沢山あるだろう、と指摘された事も千早に告げた。
「おれは照れることに逃げ込んでた。口下手やって言葉で、自分が全部伝え切れてない事を誤魔化してた」
 新は一度深く息を吸い込んで、再び口を開く。

 「本音全部言う。講義でも学食でも、おれが近くに居たら、千早にこの前の事思い出させて苦しませる……ほやから離れてようって思ってた。……けど、おれの気持ちは全然変わってえん。千早が好きや。結婚してからって考えは持ってるし、おれ自身童貞やけど、千早とセックスしたいって欲求もある。無防備さを咎めた理由はこの前言った通りや」
 そして千早との交際がどうなるにしろ、自分達が壊れてしまう事だけは絶対避けたいと言い切る。
「昔千早に話した夢。それまで壊れたら……千早もおれも、きっともう……かるたは出来ん」
 その夢がそもそも二人の出発点なのだ。夢が壊れれば、かるたも交際もドミノのように壊れる事は不可避だ。

 「私も、言う。この間のは怖かったけど、気持ちはやっぱり同じ。……新が、好き。だけど、きっと呆れてて、話しかけられるのも迷惑なんだろうって、謝る勇気さえ持てなかった。……価値観としてなら、私も同じような事は思ってた。……ただその、新ほどには……セッ、クスについて具体的に考えてはいなかった。だから新が言うように、無頓着でいたんだと思う」
 やはりその単語を口にするのは恥ずかしかったのだろう。千早はそこだけ変に区切って答えてきた。
「もし、おれとの付き合い続けてやってもいい、って気持ちが……ちょっとでも千早に残ってくれてるんなら、おれは自分の価値観を捨てる。それに縛られすぎて、我慢し続けるせいで、おかしな事になるのは、もう嫌やから」
「……ありがとう、新。……付き合い続けてくれる気持ちが残ってるかって、私が新に聞かなきゃいけない事だよ。そもそも私の無防備さが招いた事だから……」
 千早は少し目を伏せてから、もう一度新に向き直ってくる。その目には真摯さがあった。

 「……おれの事まだ怖いんなら無理は言わんし、千早が自分の意志で受け入れてくれたらっていう話やから、嫌いやって思うんなら、もう無理やって思われてるんなら……別れたいって言われても、おれは千早のその気持ちを受け入れる」
 一度しっかり呼吸をし直して、千早の顔を直視した。
「おれが気持ち変わってえんのは、さっき言った。それ踏まえて言いたいんや。……おれは千早の心も身体も全部欲しい。おれだけのもんに、したい。……もっとはっきり言ってもいい。おれは、千早だけとセックスしたい。そう思ってる」
 照れる事に逃げ込まないと決めた通り、新は一度も視線を外さずに言い切る。
「……私はまだ、バージンだから……純粋に肉体的な不安はある。だけどそれは、新が怖いっていう事じゃ、なくて……」
 そこで戸惑ったように口を閉ざした千早が静かに床から立ち上がって新に背中を向ける。やはり受け入れられない話だっただろうかと気持ちが沈んだ時、千早の手は着てきたワンピースのファスナーを手探りで見つけ、震える指で一気に引き下ろしている。脱げた服はそのまま千早の足元に輪を描くように落ちた。

 「……え? 千早、一体……」
 千早の思いきった行動に新は狼狽えてしまう。
「上手く、言えなくて。だけど……私を自分だけのものにしたい、新のその言葉に……応えたかったから」
 消え入りそうな声とともに、千早が新の方に下着だけの姿で向き直ってきた。
「嫌やったり……怖、かったり、して、ないんか? おれの、事……」
 おそるおそる尋ねると千早がかぶりを振ってくれる。新も床から立って、それでも千早を驚かさないようにそっと腕を引いて胸に抱き留めた。
「千早……。千早、もう、何て言ったらいいんか、分からんぐらいや……。怖くないって言ってくれて、まだ続けてくれるって言ってくれて。……おれの言葉に、応えてくれて……千早、千早……」
 嬉しくて泣きたくなって声が震え、様々な想いが一気に溢れ出る。けれどそれらを言い表せるのは、たった一つの言葉だけだ。
「……好きや、千早……」




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written by Hiiro Makishima