FX情報の口コミ

Causes/Effects ─Letter─

Normal(?) End



 「ただいま」
 重い口調で太一は自宅のドアを開ける。母親の麗子は先日の定期考査結果で学年一位から落ちた事を、顔を見た途端咎めようとしたが、太一のひどく暗い目を見て口を閉じた。
「……辞めたよ、かるた部」
 ぼそりと告げた太一の言葉にも、麗子は「そう」としか返せない。成績が落ちたらかるたを辞めるというのは元からの条件だが、太一の様子はまるでハリネズミが毛を逆立てているようで、それ以上言葉を掛けられないでいた。
「手紙が来てるわよ」
 何通かの封筒を太一に手渡して、お茶の約束があるからと麗子は仕度のために自分の部屋に入っていく。

 自室のベッドに荷物を放り投げ、太一はその縁に腰を下ろして俯く。
「……千早……」
 自分の中の感情はごちゃ混ぜで、太一自身それが怒りなのか悲しみなのか分からない。
『やっぱりカラスが持ってったのかなあ』
 小学校でのかるた大会を覚えているか、と聞いた時の返事。あの口調は太一が眼鏡を隠したとは、今の今まで考えていなかった事がありありと分かるものだった。
(あいつ、どこまで単純に出来てんだ……。六年も経ちゃあ、一度ぐらいは考えるもんだろ……)
 あるいは千早も少しはそう思ったのかも知れないが、自分と新が友達になったから「カラスのせい」にしておこうと考えていたのかも、という気もした。そうした「信じる強さ」は千早の美点だった。───少なくとも、昨日までは。

 自分も部長として一緒に作った新入生に向けた部活動紹介の原稿。書いていた時の部員数は今まで通り「三年生五人、二年生二人」としておいた。少し前に自分の退部後の事を頼んだ西田や駒野に余計な心配をかけたくなかったし、原稿作成の時点で一人減っていれば他のメンバーにも動揺が広がる。だからそれまでは伏せておこうと決めていた。
『三年生四人、二年生二人で頑張ってまーす!』
 新歓当日に退部届を出した後、仲間たちが動揺していないかだけは気に掛かって、新一年生の後ろからそっと様子を伺っていた太一の耳に、その一言が飛び込んできた。「三年生四人」と千早が言い切った事で、みんなは自分の退部を受け入れたのだろうと、そっと体育館を後にした。
 医学部志望の自分にとって、これが一つの幕引きだという思いはあったが、自分自身「時間は有限」だと知っている。だから少しばかり寂しいとは思ったが、そこまで心は波立たなかった。
『ごめん』
 千早が告白を受けてくれなかった事にも落ち込みはしたものの、そもそも自分の方が他人の思いを何も受け取って来なかったという自覚を持って以来、その返事はそのまま受け入れるしかないと考えるようになっていた。

 『退部なんてイヤだ』
 袴姿のまま追い掛けてきた千早の言葉が、太一の心にまた血を流させる。
「何で追い掛けてきたのが、千早なんだよ……何であいつが引き留めんだよ……っ!」
 他の部員が追い掛けてきたのなら「それが母から出されていた条件だったから」と言う事も出来ただろう。「部は辞めるけど『元部長』として相談ぐらいは乗るから」とも言えたに違いない。どの道三年に上がったのだから、高校選手権が終われば引退だ。二年生が追い掛けてきたなら「これから部を牽引していくのはお前たちだ、頑張れ」と、作り笑いであっても、そう言えたと思う。
「それをなんで、新しか見てない、お前が言うんだよ……!」
 拳をきつく握りしめ、食いしばった歯の隙間から絞り出すように呟いた。

 『───ごめん』
 初めて聞いた、消え入りそうな千早の声。ぎゅっと眉を顰めてそう告げたあの表情。それだけで分かってしまった、千早の心。
『おまえ、秋に千早に何か言った?』
『う? う、うん……ゆ、言っつんた』
 高松宮杯の試合中、新と小声で交わした言葉。試合中あれだけ落ち着いている筈の新が真っ赤になって答えてきた。挑戦者決定戦からこっち、千早の様子がおかしかった事があれで一本の線として繋がった。ずっと恋愛音痴───部員の大江奏の言葉を借りれば「あんぽんたん」───だと思っていた千早が、いつの間にか親愛の情と恋愛感情を区別出来るようになっていた。そしてその違いを千早が自覚したのが新からの言葉だという事も、その短い会話だけで太一は理解した。

 (……だから『ごめん』なんだろ。なのに、なんで……部に残れなんて、言ったんだよ……! かるた続けろなんて、何でそんな事が言えんだよ!)
『やめちゃやだあ!』
 自分の思い通りにならない千早にイライラさせられた事は何度もあったが、初めて千早に対して本気で傷付き、腹が立ち、その日以来続けてきた作り笑いが崩れてしまった。
 ごめん、と告げられた時も確かにショックだったが、千早のその言葉は「自分と同じ、かるたが好きで頑張っている仲間」と信じて、信じきっているからこそ「それ以上の存在」とは見なかった、考えもしなかったと言われたようなものだったから、普通に振る舞う事で塞ごうとしていた心の傷が更に深く抉られたのだ。

 『おまえは、おれが石で出来てるとでも思ってんのか』
 その一言が全てだ。ずっとずっと、頑張ってきた。かるたに懸ける千早はいつも眩しかったから、千早がかるたに全力を出せるようにと友人として、部長として支えてきた。
『私が今一番大事なのは、太一がA級になる事』
 そう言ってくれたから、部長として支えるだけでなく、自分自身も強くなろうと努力してきた。千早に勝ち、新に勝つ事で、千早の心に居る新を、若宮詩暢や猪熊遥を指すのと同じ意味で「だけ」の強い対戦相手という存在に置き換えられるだろうから。
「新に対しても、言える……って思ったのか? おれ。千早にとってのお前は『強い選手』として憧れてるだけで、恋愛対象じゃねえ……とかって」
 忘れようとしたり励みにしたり、新に対する感情が揺れ動いていたのも、千早がその背中を追い掛けていると知っているからだ。だからこそ強くなりたかった。もう新を見なくていい、自分が居るからと言えるからだ。

 (そう言や、何でだろうな……)
 今まで散々、新に対して複雑な感情を持っていたのに、今度の事では新にそこまで嫉妬を覚えていない。千早の無神経さへの苛立ちが大きいせいか、札が真っ黒に見えるほど、かるたから心が離れていっているせいか、あるいは───
「……千早のファーストキスを、おれのものにしたから、か? どう逆立ちしても、それだけはもう新には手に入れられないから?」
 それだけは認める気になれない。認めてしまったら自分は小学生の時と同じ「卑怯者」に戻ってしまった事になる。大体、新が進学でこっちに出てくれば、二人は交際を始めるだろうから、キス以上の「初めて」はきっと新のものになる。
「けど……もう、どうだっていい。……おれの目に映る札は『ちは』でさえ真っ黒なんだ。仮に他の九十九枚が普通に見えたとしても、きっとその一枚は真っ黒なままだ」
 今は見るのも疎ましいかるたの取り札をどこかに仕舞おうと、ベッドから立ち上がった太一の目に、さっき母から手渡された郵便物が映る。その殆どは予備校や学習塾の強化合宿などのお知らせだが、一通だけ何の変哲もない白い封筒だった。

 「……この、字……」
 十七才とは思えない流麗な文字だけでも、差出人は新だと分かる。封筒を裏返すと予想通りの名がそこにあった。
(新がおれに、一体何の用があるってんだ……)
 自分の退部絡みの事か、と考えかけて即座にそれはあり得ないと気付く。福井に住んでいる新が今日の話を仮にメールで千早から聞いたとしても、同日に普通郵便が届く筈がない。実際消印は一昨日の日付だ。
(……ん?)
 封筒の一部に固い感触がある。便箋以外の物を同封してきたのだろうか。
「しょうがねえ。読んで判断するしか、ねえか……」
 渋々、太一は手紙の封を切った。






Next





written by Hiiro Makishima