保湿系トライアルセット

さびしさに 

R18版



 ガスの元栓を確認しに新の部屋へ向かってから一週間後、千早の姿は再びアパートの和室にあった。
「元栓のチェック、ありがとう。メールもろて安心したわ」
 自分のケアレスミスで千早の手を煩わせた、と新は少し困ったような笑みを浮かべて礼を口にする。
「お礼言われるほどの事じゃないし……って言うかね、実はさ……」
 言いながら千早は自分の鞄から、綺麗に洗濯して畳んだ一枚のTシャツを取り出して新の前にそっと置いた。
「元栓見に来た日に、これ……借りちゃったんだ。無断でごめんね」
「や、Tシャツぐらい全然構わんけど……着てた服、汚れたりとかした?」
 高校の時、ずぶ濡れになった若宮詩暢にTシャツとジーンズを貸した事もあったから、千早が自分の服を借りたという言葉に抵抗はない。ただもし、帰省中に部屋の掃除でもして服が汚れたなら悪いと思っての問いだったが、千早はその言葉にかぶりを振った。

 「そういうのじゃ、ないんだけどさ。……その……新が居なかったから……」
「……おれ?」
「何かね、新が留守にしてる時のこの部屋って、……妙に寂しく見えて。へ、変だよね、こういうの。……あははは……」
 千早は気恥ずかしさを誤魔化すように、取って付けたように笑う。その言葉で新も大学に入ってから一週間も二人が顔を合わせなかったのはこれが初めてだと今更のように気が付く。
「別に変やとは思わんけど……サイズ合わんかったんで?」
「あ、ううん、着てはいないんだ」
「……単に持って帰ったってこと?」
 新が尋ねると、何故か千早は首まで真っ赤になって俯いた。
「や、えっと……そのぉ……。ね、寝る時に……ちか、近くに……」
 口ごもりながら千早は両腕を前に持ってきて、縫いぐるみを抱きかかえるような格好をしてみせ、それでようやく新にも「借りたTシャツの使い道」が飲み込めた。
「あ……と、まあ……千早がほんで良かったんなら、うん……」
 話を理解した途端、新の顔も千早と同じに真っ赤に茹で上がった。

 「あれ、そう言えば新、さっき詩暢ちゃんの事言わなかったっけ?」
「え? あ、うん。……高二の選手権ん時さ、詩暢ちゃんずぶ濡れやったが? ほん時おれ、翔二の学校のTシャツのままやったで、普段着の方貸したんや。……おれ反省文書かなあかんかったし、その間に詩暢ちゃんの制服も乾くやろうでさ……って、何やの、千早? ほんな人の事じとーっと睨んで……」
 答えている途中から自分に向いていた千早の視線が物言いたげに変わったように思い、新は問うた。
「……何でもない」
 そんな膨れたような口調で言われては、幼馴染みに鈍い鈍いと言われ続けてきた新でさえ、その言葉を納得など出来る訳もない。
「何でもない訳ないやろ。ほんな顔して。……何か思ってるんやったら、言いね」
「……言っても、笑ったり怒ったりしない?」
「聞かな分からんけど……努力はする」
 千早が浮かべている表情の意味が掴みきれないのだ。聞いてみなければどう反応していいかさえ分からない。そう告げると膨れっ面のままの千早から言葉が飛び出した。

 「だって私、新の服着た事ないもん……Tシャツ借りたけど、袖通してないし。寝る時抱いてただけだし。……詩暢ちゃんが羨ましいなって……ちょっと思った」
 少し顔を背け、唇を尖らせて告げられた一言に、新は一瞬ぽかんとする。
「あれは、個人戦出れるよう詩暢ちゃんが取りなしてくれたし、ずぶ濡れのままにしておけんかっただけやし。……おれかって自分のTシャツやのに妬いてもたんやざ?」
 返された一言に顔を上げると、自分から視線を外して耳まで赤くしている新の、どこか拗ねたような表情が千早の目に飛び込んできた。
「え、それって……あの、もしかして……借りてウチに持って帰ったからって事?」
「……抱いて寝たって言(ゆ)ったがし」
 新の赤面が一段と酷くなる。
「や、その、抱いたって言っても、ほら! ぬ、縫いぐるみとかみたいにしただけだし! ……ほんのり、新の匂いが……あったから……って、何か変な人っぽいけど、新が近くに居るみたいで……ちょっとだけ、寂しくなくなった、から……」
 言いつのる千早の額にうっすら汗が光っている。それを見ているうちに、新の中にあったよく分からない感情は呆気なく消え失せた。

 「……今度、部活の帰りにでも着てみるか? おれの服」
 汗だくになったからという口実でもあれば、周りもそう煩くないだろうと新は口を開いた。
「えっと……私はそれ、嬉しいんだけど……」
「……けど?」
「アンフェアかなあって思って。……新をうちに呼ぶのは全然問題ないけど、抱いて寝るとなると、やっぱりさ?」
 両親と姉が一緒に住んでいる自宅でそれは流石に難しい、と千早が困り切ったように言葉を継いだ。
「気持ちだけでいいざ。……ほやけど、おれの匂いって……どんなんやろ。て言うか、ほんなはっきり分かる?」
 それだとまた別の問題が発生するかと思って新は問いを重ねた。
「どんな、って言われると説明難しいんだけど、なんかね……ふわっと包まれるみたいな? 香水とかみたいなキツいのじゃなくて」
「……ごめん、さっぱり分からん」
 新の言葉に千早も彼と全く同じ、困ったような笑みを浮かべた。

 「今も匂うやろか」
 新は自分の着ているTシャツの首を軽く持ち上げて嗅いでみるが、やはり自分の匂いは鼻が慣れてしまっていてよく分からない。そこに千早が膝でにじり寄り、身体から浮き上がっているTシャツの生地に鼻を近付けてきた。
「Tシャツはそうでもないかな」
 答えながら千早は膝立ちになり、新の髪に鼻を寄せ、時々くんくんと子犬のように確かめながら顔を首筋まで下げていった。
「あ、この辺だとちょっと分かる。……ほんとの、新の匂いだ。……私、好きだな。この匂い……」
 首筋を千早の鼻先が何度も行き来すると、新の鼓動はあっさりと早くなる。
「……おれも今、千早の髪の匂い……分かる。シャンプーなんかな。いい匂いや……」
 鼻先を今度は千早の首筋に移動させて、深く息を吸い込むと、シャンプーとはまた違った匂いが鼻をくすぐった。
「前も思ったけど、千早は何か、甘い……いい匂いしてるよな、いつも」
「え……、そ……う、なの?」
 新が千早の匂いを楽しむように鼻先を首筋に添わせると、細い肩がびくんと跳ねた。

 「……千早?」
「ごめん、新……それ以上されると、声……出ちゃう……」
 恥ずかしそうに言われるそれに、新はふっと笑む。
「おれ、とっくに……なんやけど。……お預け?」
 大きな目が一度、新にまっすぐ向いた後、含羞に満ちて伏せられる。
「……いい、よ。……新……」
「ありがとの。……布団、出してくるわ」
 新は床から立ち上がり、側の押し入れから出した布団を手早く敷き、千早の側に戻るとその手をそっと取って、一緒に布団の上に座り直した。





Next


written by Hiiro Makishima