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さびしさに 



 八月を半分過ぎたある日の昼下がり、千早の携帯が軽快な着信音を奏でた。
「もしもし? どうかしたの、新?」
 お盆に一度帰って来いと両親に言われ、新が高速バスに乗り込んだのが昨夜の遅い時間だった。時間を考えればもう実家に着いているだろうが、家族や親戚、南雲会の人と過ごしているだろう時に電話を掛けてくるのは何かあったからだろうかと千早は聞いた。
『……悪いんやけど、おれの部屋のガス、元栓閉めたかどうか確認してくれんか? 閉めた筈なんやけど、念のため頼める?』
「うん、いいよ。見てくるね」
『ごめんな。バタバタって帰ったもんやで、どうやったかなあ……って思っつんて』
 電話の向こうで何度も謝る新の言葉に千早はわざと言葉を被せた。
「そんな何度もゴメンって言わなくていいよ。大した手間じゃないし」
『ありがとう。……何かお土産買って帰るわ』
 大袈裟だよと返し、千早は通話を終えた。

 「じゃあ、ちょっとチェックしてこようっと」
 鞄のポケットに入っている筈の、新の部屋の鍵を確認して千早は家を出ると大学方面への電車に飛び乗った。
(……そ、そう言えば部屋に居ないって分かってて新のとこ行くのって、初めてなんだ……。わ、わー。なんか……彼女っぽい……かも)
 通学時に何か異変を感じたら部屋に入って連絡を入れろ、と新から貰った合鍵を使ったのは今のところ一度きり、彼が酷い風邪で寝込んだ時だけだった。主が留守にしている部屋に合鍵で入り、しかもガスの元栓の確認という「家事っぽい」理由のせいか、恋人───というより半同棲カップルのようで、千早は電車の中にもかかわらず一人で頬を赤らめた。

 駅に滑り込んだ電車を降り、早足で改札を抜けた千早は新のアパートへの道を急ぐ。大学の部での練習量が物足りなかった時などに一緒に部屋まで行ってかるたを取っているから、もうすっかり歩き慣れた道だった。大通りから住宅街の細い路地に入り、しばらく歩くと建物が姿を現す。玄関の外に設置してある集合ポストにちらりと視線をやると、新の部屋番号が記されている郵便受けに何か入っているのが見えた。
「……ダイレクトメールかチラシだろうけど、一応……中に持っていこうかな」
 千早はポストの中にあったチラシや封筒を束ねて片手に持つと、玄関を潜って新の部屋へと向かう。子供の時から新が綺麗な字を書く事は知っていたが、ドア脇に差し込まれている手書きの表札は、知らない人が見たらもっと年長の人間が書いたと思うだろう落ち着きさえ感じさせる、こなれた字で書いてある。指先でそっとその文字をなぞってから、合鍵を取り出して鉄扉を解錠した。

 「お邪魔しまーす……」
 誰も居ない事は分かっているが、何となく習慣でそう言いながら玄関で靴を脱ぐ。新が部屋を出る前に窓を閉め切ったからだろうか、奥の部屋から籠もった熱気が玄関に向かって流れ出たような気がした。
「えっと、元栓……」
 まずは頼まれた通り、キッチンに向かった千早はガスコンロの奥をのぞき込む。二股に分かれたガスの元栓はどちらもちゃんと閉めてあった。元栓もそうだが、台所の水切り籠もゴミ箱も出発前にきちんと片付けてあり、几帳面な新にしては珍しい記憶の抜けと言えた。
「換気だけしておこうかな」
 独りごちて千早は和室に移動して窓を半分ほど開ける。大して涼しくない夏場の風だが、籠もった熱気を払うには十分だ。千早の髪をなびかせた風が、そのまま壁に吊してある新の上着を軽く揺らした。

 「新の匂いが、する……」
 動いた上着からふわりと立ち上った新の匂いが鼻をくすぐる。部屋の中を振り返った千早の目に映るのは、きちんと掃除が行き届いた誰も居ない畳だけで、思わず溜め息が零れ落ちた。
(……住人が留守の部屋って、空き部屋よりも何だか、寂しい……)
『まあ適当に座っててや。今お茶持ってくるし』
『千早ぁ、そこのテーブルちょっと出してくれるかー?』
 いつもなら部屋に来た千早に、台所から掛けられる筈の声がふと脳裏に蘇る。
「何でだろう。……あと何日かしたら帰ってくるの分かってるのに、何でこんな、寂しいんだろう……」
 高校を卒業するまで、顔を合わせるのは試合の時ぐらいで、電話で話すのもそう頻繁ではなかったのに、同じ東京に住み、同じ大学に通うようになってからの新の不在の方が逆に寂しく思える。

 「……ごめん、新」
 千早はそう口にして、押し入れの中の衣装ケースをそっと開けると、新が普段着ているTシャツを一枚取り出した。
「帰るまで、貸してね」
 Tシャツをそっと胸に抱いて呟く。Tシャツの布地越しに自分の鼓動が手の平に伝わり、どことなく新の返事のように思える。
「あ、郵便受けの中身、どこかに置いておかなきゃ」
 大学近くの宅配ピザ屋のクーポン付きチラシや、どこかの紳士服店のダイレクトメールといった物ばかりだったが、新が後で目を通すかも知れないからと、郵便受けから抜いてきた束を本棚の上にまとめて置き、朗詠CDのケースを重し代わりにその上に乗せた。
「……ええっと……」
 換気のために開けていた窓を閉め、千早は施錠と元栓を指差し確認しなおして、新のTシャツを鞄に仕舞う。東京に戻って来た時に正直に話すつもりではいるが、聞いたら新はどんな顔をするだろうか。
「笑われちゃうかな? でもまあ、いいかな。……たまには」
 クスっと小さく笑い、新の部屋の鉄扉を元通り閉め、きちんと施錠して歩き出した。



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written by Hiiro Makishima