ものうらみ 2
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自宅に向かう道路沿いの桜並木は真っ白な雪化粧が施されている。幸い道路には除雪車が入ったらしくアスファルトが露出していて、新は八ヶ月ぶりに地元の道を歩く。こうして帰省すると、東京と福井では寒さの質も違うのだという事が感じられた。 「……こっちに居た頃、加湿器なんて要らんかったもんなあ……」 桜の枝先から一塊の雪がぱさりと新の頭の上に落ちてきた。 「うわ、冷たっ……早ようち戻ろ」 一度溶けたザラメ状の雪をざくざくと踏みしめて、新は家路を急ぐ。やがて積もった雪以外、八ヶ月前と全く変わらない家並みが見えてきた。 「……ただいまー」 玄関の引き戸をガラガラと開けると、朗らかな笑みを浮かべた母が居間から顔を出した。 「お帰り、新。荷物置いてきねの。お茶淹れとくで」 新は頷き、家族への土産物以外の荷物を二階の自室へ持って行った。東京での生活で必要な物を運び出した後の自分の部屋は、がらんとしていて実際の室温より冷え冷えとした感じがする。 「当たり前か。半年以上誰も使ってえんのやし」 鞄を床に置いて、新は階下に戻った。 「これ、お土産や。じいちゃんの分だけちょっと小分けさして」 東京で買ってきたお菓子の包装を剥がし、新はいくつか小分けした中身を手に隣の仏間に入ると祖父の写真の前にそのお菓子を供え、静かに手を合わせる。 (お盆帰られんくてゴメンな、じいちゃん。おれ、大学で千早とか部の人らとかるた頑張ってる。もちろん名人も目指してるけど、千早とのかるたって、すごく楽しいんや。楽しいんやけどライバルなんや。じいちゃんも、そっから見てての) 「新ぁ、襖開けっ放しやと寒いがの」 居間の父から相変わらずな声が飛び、新は苦笑を一つ浮かべると部屋を移動した。 「……東京の大学、どうなんや? お友達とか出来たんか?」 温かいお茶を差し出しながら母が尋ねてきた。 「うん、まあ……そこそこには。千早も同じ大学やし……ほら、小学校ん時住んでたアパートに来てた事あったやろ? 今、一緒のかるた部や」 「ああ、あのガールフレンドちゃんかあ! どんな子んなってるんやろの、今」 昔から娘が欲しかったと言う母は、目を輝かせて聞いてきた。 「あ、写真あるわ。大学祭の試合ん時に、千早のお母さんが撮ったのを転送してもろたんやけど」 そう言って新は携帯に保存してある袴姿の写真を母に見せる。 「すごい別嬪さんやのお。袴よう似合うてるし。やっぱ女の子はいいのぉ。こんな子居ったらしょっ中服とか一緒に買い物行けるやろうし、スタイルいい子やで何着ても似合うやろのー」 「新、いっぺんうち連れて来いま」 話が妙な方へ流れて行きそうな気がした新は、隣へのお土産を持って行ってしまうと言ってコタツから出た。 「こんにちはー、ごめんください」 隣家の玄関を開けて呼び掛けると、はーい、と由宇がぱたぱた玄関先に出てきて年始の挨拶を口にした。 「あけましておめでとう、これお土産や。おばちゃんらと食べて」 「あ、ありがと……おじさんとかおばさんは?」 「居るけど、質問攻めやでちょっと逃げてきた」 肩を竦める新に由宇はなるほどの、と言葉を返す。 「ちょっと上がってくか? 私も新の大学の話聞きたいし」 「んー、ほんならちょっとだけの」 新は靴を脱ぎ、由宇の後に従う。普段は応接かキッチンで話す事が多いが、今日の由宇は新を自室に招き入れた。 「……この部屋上がるのって何年ぶりやっけ? ……ほやけどあんま印象は変わってえん感じやの」 「ほうか? あ、インスタントやけどコーヒーでも持ってくるわ。ちょっとだけ待っててや」 新の返事を待たずに由宇は台所へ降りていってしまう。しばらくしてカップを乗せた茶盆を持った由宇が戻ってくる。足音で気付いた新は部屋の扉を開け、手で押さえて由宇の移動を手助けした。 「ありがと。……まずの、私あんたに謝らんとあかんのやって。新が年末年始帰ってくるって聞いたの、郵便局行ってもた後での。……ほやで年賀状、東京の住所に送ってもたんや」 「別に謝る程の事でないがの、ほんなもん。帰ってからの楽しみにしとくわ」 新が笑うと、由宇もようやく普段通りの表情に戻った。 「……ほんでそっちの大学って、どうなんやの? 友達とか出来たんか?」 「うちの母ちゃんとおんなじ事言うなあ、由宇」 新の言葉に由宇は少し頬を赤らめる。 「まあ、身近に『東京で一人暮らしの大学生』なんて新ぐらいしかえんでの。翔二とかかってこっちの大学やし」 「なるほどの。……まあ何とかやってるざ。どうにか自炊にも慣れたしの。元々大会とかで会うてたもんも結構居るし、太一とかは大学違うけど、千早が一緒やし」 ふと由宇が目を伏せた。 「千早さんて、新がかるた止めてた時にここ来た髪長い子やったっけ。……確か、小学校ん時もあんた、その子の言葉に感心して話し掛けたかったとか言うてなんだ?」 「小学校の時の話とかよう覚えてるなあ、由宇。……うん、ほうや。その千早。まっすぐでかるた好きなんはちっとも変わってえんくて、その全力なとこにおれも励まされるんや」 新はにこやかに答えるが、由宇は相変わらず目を伏せたままでいる。 「ひょっとして付き合うてたりとか?」 「うん。まあ普段はかるたばっかやってるけどの」 「新、なんかちょっと変わったの。前はこういう話やと真っ赤んなってもて、ほんな率直でなかった気するけど」 由宇が少し低い声で言ってきた。 「……ほうか? おれ自分がほんな変わった気せんけど。かるた好きは福井に居った頃からやし、千早もそうやしなあ」 むしろ新にとっては、小学校卒業と同時に福井に帰ってから再会した時の由宇の変化の方が記憶に残っていて、変わったのは自分ではなく由宇の方ではという気はしていた。 「まあ確かに、都会かぶれにもなってえんし、言葉も福井弁のままやってとこは変わってえんけどの……」 由宇は少し言い淀む素振りを見せた。 「……ほやけど、あんたの心の中が少し変わったって思うわ。心の中にある、新にとって大切なものって言うんかな」 「おれの?」 由宇は小さく頷いて、以前の新が「大切だった」ものは、かるたと祖父、それから友達だったと言う。それも友達の占めるウエイトは新の中でかなり小さかった筈だ。 「今は何つうか、かるたが大事なのは何も変わらんけど、その次に挙がるのが綿谷先生でのうて、千早さんになってるやろ」 そういう分け方なら由宇の言う事も分からなくもないが、新は内心それも少し違うと考える。自分の夢、千早の夢にはかるたが不可欠で、かるたについての夢にもお互いが不可欠になっている。 「ちょっとだけ違うかの。今はおれ、そういうのに一番目も二番目もないって思ってるで」 「……新。いっぺんだけ、言うてもいい?」 俯いていた由宇が顔を上げてきた。 「ん。何や?」 「───私、あんたの事が、好きやった」 由宇は「好きだった」と過去形で伝えてきた。 「あんたがあっち行く前に、気が付いてもたんや。……小学校ん時に新が転校して、私南雲会辞めつんたやろ? ……ほんでこっち帰ってきて、新がかるた出来んくなった時。私あんたの事は責めもせん代わりに励ましもせんと居たが。あん時はその方がいいやろって思ってたんやけど、千早さんらみたいに、新をかるたに連れ戻す事はせなんだ……」 一度そこで言葉を切った由宇は短い溜め息を漏らす。 「千早さん、小学校の頃に新から『日本で一番は世界で一番』って聞いて、自分もなれるんならなってみたいって、札返すのに追い掛けてった時言うてた。そんな昔の、いっぺんしたっきりの話を信じて努力を続けるような情熱とか、ただただ新が心配で、こんな所まで来るような懸命さとか。そこまでの強さは持ってえんかったって……気付いつんた」 ほやで過去形や、と由宇は泣き笑いのような表情を見せた。 「……ありがとう。ほんで、ごめん。……現在形で言われたとしても、そうとしか返事出来んけど。ほやけど由宇は、おれにとって家族とおんなじで、おれが辛かった時話聞いてくれたり、道示してくれた恩人で、一生の友達や。それだけは変わらんざ」 「家族で、友達……か。ほうやの」 ぽつりと言った後、由宇はくるりと新に背を向けた。 「新ぁ、悪いけど……今日はもう、帰ってくれるか?」 「ん、分かった。コーヒー、ごちそうさま。……またの、由宇」 由宇から返事は返ってこなかったが、新は由宇の言葉に従って芦野家を後にした。 (好きやった、か。……中学の頃由宇がなんか変わった気したの、今やったら分かるわ。おれ自身が人を……千早を好きになったで分かるようになったんやろの……) 自宅に戻りながら新は考えを巡らせる。 「……おれ、結構残酷なんやな。自分が恋とか鈍かったで、東京で出来たいい友達やー、って由宇によう話してたもんな、千早の事。……ほやけど誰かに告白するって事は、その答えも相手の意志に委ねるって事やし。あかんかっても受け容れるしかない事やもんな。……由宇は、凄いわ」 自分が告白したあの時、もし千早の心に他の誰かが既に居たとしたら、自分は由宇のように潔くなれただろうか。 「無理かも知れんなあ。……特に相手が太一やったら、おれその後も二人と友達で居られるか分からん気する」 そう考えると太一も凄い、と新は思う。 「あんだけいつも千早の側に居ったのに、今もおれらと友達でいてくれてるもんなあ、太一は」 自分と千早の恋の裏側に、いくつも無自覚なまま通り過ぎてしまった他人の想いがあったと今更のように気付く。そうした気持ちに自分達は何を返せるだろうか。 「……かるたでも恋でも、この二人はこれでいいんや、って思ってもらえるようにおれらが頑張る事、ぐらいやろうか」 吹き始めた風に首を竦めながら、新は玄関の扉を潜った。 |