ものうらみ
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年が明けて一週間ほどが過ぎた夜、千早の携帯が短く鳴ってメール着信を知らせてきた。 「あっ、新帰ってきたんだ」 メールを読む千早の顔が綻ぶ。大会参加費を確保するためのバイトを夏場に集中的に入れていて、盆休みに帰省出来なかった新は両親から年末年始ぐらい帰ってくるよう何度もせっつかれ、この年末年始、新は八ヶ月ぶりに福井の実家で過ごしていた。 「……まだ時間大丈夫かな」 時刻を確認して千早は携帯の電話帳から新の番号を呼び出した。 『もしもし』 「新、お帰りー! 福井、どうだった?」 『なんか妙な感じやな。あっちでもこっちでもお帰りって』 電話の向こうで新はくつくつと笑って答える。顔を見なかったのは十日にも満たないのに、声を聞くのが久しぶりに感じられて千早はそんな自分に苦笑した。 『……まあ福井は、ほとんど何も変わってえんよ。栗山先生とか村尾さんも元気やったし。……あ、ほや。千早にお土産あるんやけど、明日とかって会えるか?』 「全然大丈夫! 新のとこ行けばいい?」 『千早んとこの近くでもいいざ?』 「けど何時間も新幹線と電車移動で疲れてるでしょ? 私そっち行くよ」 『ん、ありがとう。ほんなら甘えさせてもらうで、明日適当にこっち寄ってくれればいいでさ』 流石に新の声にも福井から東京までの移動での疲れが出ている。二言三言話した後、電話を切った。 「あ、そうだ年賀状!」 千早は机の引き出しから未投函の年賀状を一枚引っ張り出してきた。年末年始帰省する新と年が明けて最初に会う時に手渡そうと思ってわざと投函しなかった物だった。 「……お年玉くじはまだ発表になってないし、いいよね」 明日忘れないようにと千早はその年賀状を普段使っている鞄に仕舞った。 「新、福井でどんな事してたのかな。……楽しかったかな」 向こうに帰省している間、少しだけでも自分の事を思い出してくれていたら嬉しいと思いながら、千早は普段なら机の上に置いておく携帯電話を持ったままベッドに潜り込み、帰宅してすぐに送ってくれたらしい、新からの短いメールを眺めながらゆっくりと眠りに落ちていった。 翌日、帰省の疲れで新はいつもよりゆっくり寝ているかも知れないと、千早は昼過ぎに家を出た。ここから電車で大学まで出れば、新の部屋に着く頃には失礼にあたらない時間になるだろう。駅や車内は新のように帰省から帰ってきた人や、まだ続く休みを利用してどこかへ出かける人でごった返している。 「……ふう。なんかいつもより混んでたなあ」 独りごちながら改札を抜け、新のアパートがある住宅街へと歩いていく。部活の後などに何度も一緒に歩いた道はすっかり千早の目に馴染んだ光景になっている。やがて建物が見え、千早は足を速めてそこへ向かう。鉄扉の脇にある差し込み式の表札に新の筆跡で名前が書いてあるのが見えた時、千早の心に懐かしさのような感情がふと沸いた。 「やーだ。十日も離れてないのに懐かしいとか、変だよね私」 呼び鈴を押すと、さほど間を置かず扉が開き、新が戸口に顔を見せてくれた。 「新、あけましておめでとう!」 「うん、あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします。……寒かったやろ、早よ入りね」 新に招き入れられて千早は玄関を潜る。玄関脇にいくつか置かれた紙袋は帰省前には見なかったものだ。多分大学の部や白波会の人達へのお土産なのだろう。 居間に座ると、新が暖かいお茶を淹れてきて差し向かいに腰を下ろす。 「あ、そうだ。私年賀状持ってきたんだ。……はい、これ」 鞄から未投函の年賀状を取り出して新に手渡す。 「ありがとう。道理で配達されてた中に千早の入ってなかった訳や」 昨日帰ってきた時に年賀状の束を郵便受けから取り出したが、千早からの賀状が見当たらず誤配でもあったのかと少し心配したと新は笑った。 「逆におれ帰省するの知らんくて、福井で会うてんのに年賀状来てたのも何枚かあったけどの」 「あはは、入れ違っちゃったんだ」 新は本棚の上にまとめておいた賀状の束を折り畳みテーブルの上に置くと、何枚か本人と入れ違って配達された年賀状を抜き出して見せる。 「ほら。翔二とか、南雲会の人とか。由宇はおれが帰省するって聞く前に郵便局で出しつんたって、会うた時謝ってたわ」 テーブルの上の賀状のほとんどは、印刷された年賀状定番の絵柄の余白に新年の挨拶が書かれたものだ。文言全てにかるたの事が書かれているのは、いかにも新宛てらしい。その中に一枚だけ可愛らしい干支の絵が描かれた賀状があった。 「由宇ちゃんって、前に私一度会ってるよね?」 かるたをやめたと言っていた新が気になって、太一と福井まで行った時に少し話をした女の子が確か隣の家の者だと言っていた。 「あ、そうか。千早ら会うた事あったな。看護師になるんやって言うて勉強中やけど、じいちゃんの介護あった時もちょくちょく来て手伝うてたりしてくれての。……同い年やのに昔っから年上んたなに(みたいに)振る舞ってたわ」 「へえ、しっかり者なんだ」 千早が言うと、新は何故か小さく吹き出した。 「普段はほうなんやけど、何でか料理ん時はけったいな事するんやわ。カツカレーとカツ丼を一緒の丼に盛ってきたりとか、大量の鰹節入りのカツサンドとか。ほんなもん、見たら誰が作ったかなんて一発で分かるのに、いつも由宇のお母さんからの差し入れやって言うて持ってくるしの」 (カツカレー、カツ丼、カツサンド……もしかして、新が大会出る時の応援に作ったのかな……新のために) 千早の胸がシクン、と痛む。 「……前に福井に行った時さ、由宇ちゃんが私の札持って追い掛けてきてくれてね。……それで少しだけ、新のお祖父さんの話とか教えてくれたの」 「なんや、由宇の奴、ほんな事まで言うてたんか」 千早はこくりと頷く。 「かるたはやってなかったの?」 「ん? 小学六年生までは南雲会に居たけど、辞めつんた」 「……ふうん」 (六年生……新が、東京に転校してきた時だよね。……新が居なくなったから、辞めちゃったって事、かな……) また胸がちくりと痛む。新の口から由宇の名前が出る度に、さっきから千早のお腹の中で蝶が羽ばたいているような落ち着かなさを感じていた。 (私の札持って追い掛けてきた時、由宇ちゃん凄く必死に持って帰れって言ってた……。新にまたかるたしようって会いに行った私に、泣きながら新やお祖父さんの事教えてくれたのは、その事で苦しんでた新がまた辛い思いしないように、守りたかったんだ。由宇ちゃんも……新の事が好きだから……) 新への恋愛感情を自覚して以来、それまで浮いた話に無縁だった千早も、周囲の人間の誰が誰にどんな想いを抱いているか、遅ればせながら気付けるようになってきていた。その少しだけ成長した心が千早に告げている。由宇もずっと長い間、新の事が好きだったのではないか、と。 折り畳みテーブルの上に散らばった、入れ違いで配達された年賀状の文面を千早はちらりと覗き見た。 『そっちでの暮らしはもう慣れたんかな? 新のことやで、かるた頑張ってるんやろけど無理だけはせんときねや。昔から新はかるたに没頭すると他の事忘れるし。……たまには福井に帰って来ねや?』 (昔から。……小さい時から。……私と知り合う前の十二年と福井に帰ってからの六年……) 新が由宇と共有してきた時間の長さが千早の胸にずしりと落ちてくる。 「───ねえ、新……」 いつの間にか千早の背が丸くなり、俯いたままつい衝動的に言葉が口をついた。 「……ん? どしたんや」 「新はさ……本当に、私で……よかったの?」 「え? ……何や、急に」 千早は顔を上げる事が出来ない。こんな事を問う事自体、新を信じていないと言われそうなものだが、心に仕舞っておくにはもうその疑問は大きすぎた。 「私、かるたの他には大した取り柄ないし、成績もそんな良くないし、全然家庭的じゃない。……新のお祖父さんの介護や家の事手伝ったりしてる由宇ちゃんの方がずっと女の子らしいよ……。それに、新と由宇ちゃんの間には、生まれた時から共有してたいっぱいの時間には、絶対私は入れない。……そんな風に思う自分も嫌だけど、すごく……すごく苦しいよ……」 「───千早」 新は静かに呼び掛けてきた。 「確かに過去の時間にはどうしたかって入り込めんけど、それは誰でもおんなじや。……おれかって願望としてはあるざ」 最後の一言で弾かれるように顔を上げた千早の視線の先には、真摯な目をした新の顔があった。 「ほやけどおれには、共有してた時間の長さってあんま大きな問題やって思えんのや。……時間でなくて、誰と何を共有してるかの方がずっと大事やし」 そう言って新は帰省中にあった事を話し始めた。 |