Causes/Effects
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練習に行くため、いつも通り制服をハンガーにかけて着替えていた新の耳に、携帯のメール着信音が届く。 「……制服から出すの忘れとった」 学生服のポケットに手を突っ込んで「ごっついピンク色」の携帯電話を取り出す。母が勝手に決めてしまったこの色にも大分慣れた。持ち始めた頃は、女の子が欲しかった新の母が隙あらば赤やピンクの服を買ってくる、という事情をよく知っている筈の由宇にさえ「なんでそんな色やの」と聞かれたものだったが。新は苦笑しながら画面をスライドさせて届いたメールを確認した。 「あ、太一からや」 高校一年の頃は、お互い出場した試合の途中経過などをやり取りしていたのだが、そう言えばここ最近は特に何もない。最後に太一と話をしたのは一月の高松宮杯だ。ただあの時は試合前だったり、試合中だったりで会話らしい会話にはなっていなかったが。そんな事を思い出しながら新はメールを開く。 「……え……」 記されていたごく短い文章に視線を落とした途端、新は全身から血の気が引いていく音を聞いたような気がした。 『おれ千早に告白した。で、キスした』 せいぜい十数文字のメールなのに、手が震えて止まらない。太一が千早を好きだという事は知っていた。知っているつもりだったが、「キスした」という一言が頭の中にわんわんと谺する。 (……キス、したって事は……、千早、うんって答えた……って事、やな。……好きでなかったら、せんもんな、ほんな事……) だから半年以上、千早は自分の告白に何の返事もしなかったのか。 「おれは……どうすれば、いいんやろう。……太一に良かったの、って……千早におめでとうって、言えるんやろうか。……あっちの大学行って、二人見て……友達で居続けられるんやろうか。おれっていう存在が、二人の邪魔になるんでないんやろうか……」 それへの答えが何一つ見いだせない。 「練習、行かな……」 今は何も考えたくない。新はすっかり習慣化している動作で練習用のバッグを斜めがけにし、携帯をポケットに仕舞って南雲会の道場へ行こうと自宅を後にした。 ◇ ◇ ◇ 「……」 広いベッドの上で胎児のように丸まったまま、太一は溜め息を吐いた。手にしたままのスマートフォンが、今はやけに重たかった。 「……おれ、最低だ。一昨年、あいつんち行った時『押しつけるな』って千早に言ったくせに……おれが今感じてる気持ちを、少しは感じろとかって、新に押しつけて……」 もう、友達じゃねえよ。太一は呟いた。半分は自嘲、残りは大学に進んだら、交際を始めるだろう二人を目にしたくないと。きっとその姿は眩しすぎて苦しいだろうから。送信済みのメールフォルダには、今さっき自分が出したばかりの文章が残っている。 『おれ千早に告白した。で、キスした』 嘘ではないが告げていない事はある。自分の告白に千早が消え入りそうな声で「ごめん」と言った事、退部届を出したと知って自分を追い掛けてきた千早に、退部なんていやだと傷口を更に抉られるような事を言われた事。新宛てのメールを打っている時、それらを意図的に省いた。 (……分かってんだよ。千早がそんなつもりで言ったんじゃねえ、って事ぐらい。……おれだって、分かってる。キスもメールも、昔のおれが二人を水溜まりに突き飛ばしたのと同じだって、分かってんだよ……) 太一の目尻に涙が滲む。卑怯者から脱却しようと努力して、やっと眼鏡の一件を白状出来たのに、結局ぐるりと一周してしまった。むしろ水溜まりに突き飛ばしただけの子供の頃の方が、取った行動としては数段マシだとさえ思える。 千早に「ごめん」と言われた日から、学校での太一はずっと、笑顔を保ってきた。それは心からの笑みではなかったが、中学時代のように、そうしていくうちに、いつかそれにも慣れていくだろうと。定期考査の成績が学年一位でなくなった時、母に言われるまでもなく退部を決めた太一にとって、部員と一緒に新入生向けの部活紹介用の原稿を作ったのは、部長としての最後の責務だった。 「……まあ、そうね。これが最後の役目なら、ちゃんと果たしておきなさい」 日頃口うるさい母ですら「退部前に部長としてこれだけはやっておく」という太一の言葉をあっさり承諾したぐらいだった。 部活紹介の当日、新入生の影に隠れるように部のみんなを見ていた時、顧問の宮内から退部の件を聞いた筈の千早が笑顔のまま部の紹介をしている姿を見て、もう千早のために出来る事は何もない、何も出来ない、と太一はそっと体育館を後にした。 (……ずっと、千早は眩しかった。……けどもう、近付けない。……そう思ったから、あの日以来おれは自分の視野に千早を入れないようにしてたのに……) だから当の千早から部には留まれと言われた時、心を鎧うため続けていた作り笑いに亀裂が走ったのだ。 今までも千早の言動に苛立つ事もあったが、恋愛に疎く、思ったままを口にする天然さと素直さ、それが千早だと思えていた。 「だけど……あの日は違う。……あいつの鈍感さ、無神経さに本気でムカついた」 好きだと言った時、太一自身の原動力は千早だったという事も告げた。それを聞かなかった訳でもないのに、「ごめん」と断っておきながら、部へは慰留する。そんな虫のいい話を、誰が受け入れられると言うのか。だから千早の唇を奪ったのだ。 ただ、それが無神経な事を言った千早に対しての最後の意思表示なのか、千早の心を奪った新への報復なのか、あるいは心が得られないなら、せめて今まで求めていた事ぐらいは、と思ったのかさえ自分の事なのに分からなかった。 ◇ ◇ ◇ 散々な結果だった南雲会での練習を終えた新が自宅にたどり着くと、自転車のブレーキ音を聞いたのか由宇が回覧板を手に勝手口から歩いてきた。 「はいこれ。資源回収と、公園掃除と、あと公民館の行事予定やわ」 かるたに集中するあまり、新はこういった物に目を通すのが後回しになる。だから新の両親が留守にしている時に回覧板を持って行くたび、毎回由宇が中身について短く話す事にしていた。試合でいい結果を出せた時は、その後饒舌に今日はどうだったかと言い始める。新のそうした「かるた以外の事へのお留守っぷり」は、機嫌を測る一つのバロメーターとも言えた。 「……」 が、今日の新は妙に顔色が悪く、黙りこくったまま自転車のスタンドを立てている。祖父から厳しく躾けられていた筈の礼さえ口にしない様子を見て、試合の結果がこの顔色の原因ではない、むしろ何かがあったせいで試合結果が悪かったのだと由宇は気付いた。 「……何が、あったんや? 新」 その問い掛けにも、新は俯いてただかぶりを振る。言いたくない、という意味なのは分かる。けれど新の表情はひどく暗くて、見過ごす事は由宇には出来なかった。 (綿谷先生が亡くなった後の、新みたいな……ほやけど、あの時とはちょっと違う感じするわ……) 「中で話そっさ。お邪魔するでの」 言うなり由宇は、新がいつも鍵を仕舞う鞄のポケットに手を突っ込んで、玄関扉を解錠する。気乗りがしないと明らかに分かる、のろのろした動作で、仕方なく新も中に入る。 「お茶持ってくで、あんた居間で待ってね」 帰れ、と口を開く前に由宇がそんな風に告げて、勝手知ったるとばかりにすたすた台所へ入ってしまった。 「……」 いつも新に何かあると、由宇は話させようと働きかけてくる。その思い遣りには感謝しているが、今日だけは放っておいて欲しい。けれどそれを口にする気力もなく、また由宇に口では敵わないと、新は溜め息を吐いて言われたままに居間へ入って腰を下ろした。 |