Following 3
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その日の授業が全て終わるや否や、新は由宇の座席へ向かう。 「由宇、すぐ行けるんか? 何か用事あるんやったら先済ませるか?」 かるたが絡むと新は途端に積極的になる事を良く知っている由宇だが、その急き込むような言い方にふっと苦笑を浮かべた。 「ノートとかまだ仕舞ってえんで、ちょっと時間ちょうだいや。新かって着替えたりするやろ?」 「着替えって程ではないけどの。……まあ、ほんなら先行ってるで、済んだら来てな」 言い置いて先に教室を出た新は、上階の片隅に「──科準備室」と半分文字が擦り切れて読めなくなっているプレートが付いた部屋の扉を引き開ける。高校に部を作った時、何とか確保出来たこの空き教室がかるた部の部室だ。 部屋の隅には使われなくなって久しい世界地図などが丸めて立てかけてあり、それと一緒に文化祭などの展示で使う背の高い衝立が何枚も仕舞われていた。それを荷物置き場兼更衣室の仕切りとして有り難く使わせてもらっている。もっとも利用するのは後輩の女子部員のみで、新は部室に誰もいない時はその場で着替えてしまうし、後輩が居る時は体育館の更衣室でさっさとジャージに履き替えてしまうが。 「……なんか、畳の上埃っぽいの……」 夏休み期間中閉め切っていたからだろうか、と新は教室の隅にある雑巾を廊下にある手洗いで固く絞って戻ってきた。床に敷いた畳の側で靴を脱ぎ、目に沿って畳を拭く。一通り拭き掃除をすると額にうっすら汗が滲んだ。 「失礼しまーす。……って、わ、綿谷先輩! 掃除なら私らやりますで!」 ホームルームが終わったらしい後輩達がぎょっとした顔で飛んできて、新の手から雑巾を取り上げた。 「や、早よ来たでやってただけやし」 「ほやけど先輩に掃除させて、ウチら後輩がぼさっとしてるとか、ほんなもん失礼すぎです。ほれに三年生って普通やったらそろそろ部活引退する時期でないんですか?」 手際よく床を拭きながら、B級の後輩は尋ねてきた。 「まあ、ほやけど……おれ推薦で進学するつもりやで、引退とかはないかの」 だから気にする事はない、と新は答え、普段はCDデッキを置いている机の上に消音用の布と札を入れる箱を置き、読み札の枚数を確認した。 「あ、そうやった。先輩。……今日、あの子部活休むって……」 C級の後輩がおずおずと口にしたのは、もう一人のC級選手の名前だった。 「ん、分かった。……今日は由宇が札読みに来てくれるで、全員集中してやんねや?」 部活動を休むという話を、新はさらりと流した。近江神宮の試合場で言うべき事は言ってある。聞いた上でどうするかは教室での話ではないが、「本人次第」なのだ。 「はい。……芦野先輩、取りはやらんのですか?」 由宇も以前は南雲会に籍を置いていた事をどこかで聞いた、とB級の後輩が聞いてくる。 「……まあ無理は言われんで。由宇かって受験勉強あるしの」 新がこの部を作って、後輩達が入学してくるまでのごく短い期間だけ、由宇も練習に付き合ってはくれた。もっともA級である新が相手では、毎回大差が付いてしまう。それでも何枚かいい取りを見せるのは、新の目にも驚きだった。部員が五人になった時に彼女は一旦部を抜けた。 『私が手伝えるのはここまでや』 かるたを止めて六年近く経つ自分では、D級の後輩の練習相手にもなれないからサポートに回る、と新に言ってきた事がある。以来由宇は大会参加申し込みの取り纏めや、部員達への連絡などマネージャー的な役割を担ってくれていた。 「さて、ぼちぼち練習始めよっか」 部室の隅から取り札の箱を出してきて準備を始めると、入口の扉がガラリと鳴った。 「……失礼します」 言いながら入ってきたのは由宇だった。後輩達が揃って頭を下げる。 「あ、新。……さっき聞いたんやけど、これ。一年生ん中の、他の経験者やって。段位までは分からんかったけど渡しとくわ」 小さく折りたたんだレポート用紙を手渡してきた。 「ありがとう、由宇。すげえ助かる。……ほんなら札並べるかの」 新が言うと、後輩達は札を混ぜ始め、由宇は読手席に移動して時計をさっと眺める。 「暗記時間取ります。あの時計でちょうど半から始めます」 由宇の一声で新も畳に戻り、B級の後輩の向かいに座って暗記に取りかかった。 「……ありがとうございました」 C級とD級の後輩同士の対戦が終わり、部室内の空気が緩む。札を読み終えた由宇が大きく息を吐いて側にあった椅子に腰を下ろした。 「由宇、久しぶりに声出して疲れたやろ。……ありがとうの」 「どういたしまして。教室でも言うたけどさ、まあ受験勉強のいいガス抜きなったわ」 うんと伸びをしながら由宇が答える。 「あ……教室って言うたらさ、あんた今日、えらい授業中ぽけーっとしてたのぉ? ……頭ん中だけ東京にでも飛んでったんか?」 ほんの少し悪戯めいた口調で、由宇は授業中の一件を暴露する。 「お前が、おもっしぇ(妙な)事言い出したでやがし……」 言い返す新の膝近くに、読み札が一枚転がる。新の目には、由宇がわざとその一枚を弾いたように見えた。 「あ、ごめんの。……って、あらあ、ぴったりのが飛んでったのぉ。『人知れずこそ思いそめしか』や」 由宇のその口調で、新は確信する。札が転がってきたのも、転がった札が「こひ」なのも、由宇が意図的にした事だと。 「……え、『こひすてふ』ってマジですか?! 芦野先輩!」 「私でないざ? ……新や、新」 後輩の問いに由宇はさらりと答え、それがさらに部室内に驚きの声をもたらせる。新は自分の耳が熱くなるのを感じるが、この騒ぎはそうそう簡単に静まってはくれなさそうだった。 (……公表してまえ、って言うてきたで、やった事なんやろうけど……ド直球すぎや……) 「まあ、新の場合全然『人知れずこそ』でないけどのー? もう告白しつんたんやし。……ほやろ?」 「……ほうや、けどさ……」 もごもごと新が認めると、部室内は再び色めきだつ。 「大学入るまでー、とか言わんと、近江神宮で返事貰ろたら良かったのに。ノーっては言わんやろ? 千早さん」 「なっ、名前出すなま、由宇!」 新の赤面は一層酷くなる。 「あ、近江神宮って言うたら、団体予選始まる前、ロビーんとこで東京の瑞沢高校の人と引き合わせてくれましたけど、もしかしてそこの綾瀬って人ですか?!」 大会パンフレットに名前は載っているから、後輩も覚えていたらしい。かるたには役に立つ記憶力だが、今この瞬間に限っては後輩の記憶の確かさが恨めしい気分だった。 「……はぁ……」 こうした話題で女子四人に敵う筈もない、と新は大きな溜め息を吐いて肩を落とした。 「どしたんやし、新。……観念したんか?」 由宇がにんまりと笑って聞いてきた。 「まあ、口では由宇に敵わんしの。……いっぺんだけ、答える」 顔は由宇の方に向けたまま、新は半ば自棄のように聞きたい事があれば今聞けと言葉を継いだ。 「ほんなら遠慮なく。私から行くわ。……告白したの、いつや?」 後輩達では切り込みづらいと踏んだのか、由宇が質問の口火を切るため、既に知っている話から聞き出した。 「……挑戦者決定戦の時」 「え、試合見に来てたって事ですか?」 後輩が由宇の質問に乗ってきた。 「ああ、東の代表って白波会の原田先生やったやろ? 千早も所属そこやで、先生の応援で来てたんや」 そういう事なら滑らかに答えられるのに、と思う。 「ほやけど、あんたにしては珍しいの。負けた後にほんな事言うとかって」 かるたに人一倍真剣な新が、いくら滅多に会えないからと言って試合の後に告白した事は、その性分を良く知っている由宇も少々不思議に感じていた。 「……まあ、ほうかも知れんけど……三試合目の前に、千早がおれに言うたんや。千早らにとって原田先生はどこまで行っても先生や、って。まあ言うたら見上げる目線のまんまではアカンって事やけど。その事あったでかの。試合終わって話しかけられた時、千早やったら終盤どうしたんか聞いてみとなって」 「ほんで?」 由宇が短く先を促した。 「千早は、全然迷わんと攻めがるたやで二枚とも送るって答えた。……おれは『じいちゃんのイメージ』っちゅう、自分以外のもんを描いてたけど、千早ん中には自分自身っちゅう強さがある。それが初めて会うた頃と全然変わらんくて」 選手としてはうんと強くなったのに、そうした千早らしさは変わっていない。それが嬉しくて新の中にあった思いが自然に口をついて出た言葉だった。そう答えると後輩達の口からほうっという息が漏れる。 「綿谷先輩って、普段めっちゃ照れ屋やし、こう言うと何ですけど、ほんなストレートに告白するように見えんかったです」 「……知らん」 短く言い返す新の耳はすでに真っ赤になっていた。 |