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選手権終了後の藤岡東高



 教室のスピーカーからチャイムが鳴り響き、新は手にしたままだった携帯を制服のポケットに仕舞い、次の授業の準備を済ませる。教室のあちこちに散っていたクラスメイト達が各々の席に戻ると、前の席の生徒の肩越しに由宇の後ろ姿がちらりと見えた。もう彼女の意識は入ってきた先生と、その後ろの黒板に向いているのが分かる。
(……昔もちょっと思ったけど……由宇は一体どこで接し方切り替えてるんやろ。親切やって思うと、急に突き放したんたな言い方したり。……真面目な相談の時には、ちゃんと聞いてくれるのは確かやけど……)
 中学校に上がる春休みに再会して以来、由宇が複雑な表情を浮かべる事があった。ほんの一瞬の事ではあったが、生まれた時から隣同士で育った由宇の表情の変化なら気がつける。
(……と、思うんやけどの。……表情だけやったら)
 その由宇から「頭の中にはかるたの札しか詰まっていない」と言われてしまう新も、その都度彼なりに色々考えてみるのだが、次の瞬間にはもう新がよく知る由宇の表情に戻っていて、表情の変化は気付いても、何故そんな顔をするのかまではたどり着けない事が多かった。

 (……ほれにしたかって、部でバラしてまえとか……えらい事言い出したな、由宇の奴……)
 今の休み時間に交わした会話を反芻する。由宇が言いたかったのは、新と個人的に近付く事が第一義で、かるたそのものに打ち込む気がない後輩なら、その発言で見極められるという事なのは新にも分かる。
(ほやけど……)
 自身の事だけに何とも気恥ずかしい話だが、かるたはさて置き新の事を諦める気がない者なら、もしかしたらその話を聞いても表向きはかるたに本腰を入れるように見せて、部を辞めないのではないか。そうも思うのだ。
(……変な例えやけど、もう名人は居るで、ならんでいいって言われたかって、おれも名人なるの諦める気、ないしの。……おんなじ事なんでないやろか。……ほうやったら、おれ……バラし損でねえんけ……?)
 そんな事を考えていると、ますます由宇の真意がどこにあるのか訳が分からなくなってしまう。
「はぁ……分からんなあ……」
「───綿谷、質問なら挙手せえま」
 教卓から突然名指しされ、新は慌てて顔を上げる。どうやら無意識に声に出してしまったらしい。
「い、いえ……し、失礼しました」
 教室のあちこちから飛んでくる視線を全身で感じ取り、耳がかあっと熱くなる。

 (あー……やっつんた……。教室で注目されるの、苦手や……)
 たとえそれが賞賛であっても、出来ればさらっと流して欲しいとつい思ってしまう。もっとも今のは自分が悪いだけだが。
(……なんか昔もこんな事あったの……転校してすぐやったっけ……)
 転校して間がない新が学校で使う副教材を受け取りに職員室に行った時、デスクから一枚のカードを担任が手渡しながら告げてきた。
『六年生は、百人一首の暗唱テストがあるの。一首正解でシール一枚。百首覚えた人は、校内のかるた大会に出てもらう事になってるから、綿谷くんも頑張って』
『……あ、そ、したら……今、やります』
 百首の暗唱は全く問題ないが、「東京の言葉」に慣れない六年生の新がつっかえながら言葉を返すと、担任の先生はにっこり笑う。
『じゃあ、どこから始めますか?』
『……歌番号順で』
 新は一度深呼吸をして、取り札のイメージを頭に描くと、一首目を読み上げ始めた。
(あんま時間かけてられんし、ぱぱっと読んでまわんと……。ほやけど、大会か。かるたやる子と友達んなれたら、いいんやけどの……)
 「あきのたの」から始まって「ももしきや」まで歌番号順で一度も淀まずに百首を暗唱しきると、担任は目を丸くして百枚目のシールをカードに貼った。シールで埋まった真新しいカードに、今更のように名前を書き入れる。
『綿谷くん、よくお勉強してますね。はい、百首全部、正解です』
『……あ、はい……失礼します』
 新にとってかるたは生まれた時から身近にある物で勉強の成果とは思っていないが、転校したてで不安だらけだった新は、それを訂正しようという事さえ思い付けないまま、担任に一礼して職員室を後にした。その翌日の教室で、担任から「新が昨日百首一気に暗唱した」という話が出て、クラスの視線が一気に自分に向いたのだ。

 (……懐かしいの。あれ切っ掛けで、千早とかるた出来たんや……)
 かるたでは「日本で一番は世界で一番」だと新が言った途端、大きな目をますます瞠らせた千早の顔がふと浮かぶ。
『綿谷くん、かるただったらここの誰にも負けないよ!』
 教室で太一に向かってそう言い切るあの元気な声も。
(ほやけど太一とも友達んなれて。……おれが千早に下の名前で呼べって言うたら、太一も張り合ってきたんやっけ)
『じゃあおれも、新。いいよな?』
 負けず嫌いな太一がそう言って雪玉をぶつけてきた……と思い出した瞬間、現在の新の頭にばしん、と衝撃が走った。
「てっ!」
「───授業、ほんなつまらんのやったら、廊下立って思う存分考え事するか?」
 上から降ってきた声でようやく新は我に返った。昔の事を思い出して、意識が完全に授業から逸れてしまっていたらしい。
「す、済みません。き、聞きます。……授業」
 今では決して小さくない体躯を縮こまらせ、新は教師に詫びる。前の席から、首だけを回して由宇が訝しんでいるのが見えた。
『アホ』
 由宇の唇だけが、その二音を形作っている。返す言葉がない新は目線だけで頷いてみせた。
(おれ、何してるんやし……授業、ちゃんと聞かんと……)
 軽く頭を振って、新は脳裏に残っていた回想を一旦意識の隅に押しやって教科書に視線を落とした。

 (……新にしては珍しいの、あんなぼさーっと……)
 基本的に生真面目な新が、授業中に考え事に耽っている所など、長い付き合いの由宇でさえ数える程しか見た記憶がない。かるたの試合で不本意な結果だった時の悔しさは隠そうとしないが、それでも授業中完全に意識がお留守になる程ではなかった筈だ。
(……綿谷先生が緊急手術で病院運ばれた時も、ほうやったけど……あれは無理ない話やし。身内が病気したってだけでも誰かって心配やのに、新にとって綿谷先生はかるたの神様やったんやで、尚更や……)
 当時の新が授業に集中していたら、逆に相当無理をしているのではと心配したに違いない、と由宇は思う。気心が知れた相手でなければ喜怒哀楽の表出さえ乏しかった所がある新が、「好き」と常に即答していたのが、かるたと祖父だったのだから。
(休み時間の話、引きずってるんかの……?)
 そう考えたが、それだけでもなかったように由宇は感じた。新が浮かべていた表情にも見覚えがある気がする。少し記憶を手繰っていくと、由宇は案外あっさりとその答えに行き当たった。
(……新がこっち帰ってきてすぐの頃に、東京の友達の話してた時と同じ顔や。……ああ、ほんで見当付いたわ、新が考えてた事)
 恐らく最初は、休み時間にしていた話を思い返していたのだろうが、そこから東京での生活を思い出して、つい授業中だという事さえ忘れてしまったのだろう。
(……ほやで、公言してまいねって言うたんや。……諦めつけなアカンもんは、諦められるように、の……)
 誰にも気付かれないよう、由宇は細く息を吐き出すと手にしていたペンを持ち直した。

 次の休み時間、新の携帯が短く振動する。ポケットから取り出して画面を見ると、由宇から短いメールが届いていた。
『今日の部活、読みに行くわ』
 由宇の考えは新には掴みきれない事もあるが、完全に冗談で言っている時を除けば、新を手助けしようとしてくれているという本質はちゃんと分かっている。
『ありがとう。由宇も読んでて気が付いた事とかあったら教えてな』
 手早く返事を入力して由宇の携帯に送り返す。現在部員ではない彼女が練習場所に足を運ぶのを見れば、もしかしたら他の生徒も興味を持ってくれるかも知れない、という少しばかりの期待もあった。
(……出来れば今いる四人とも、部に残って欲しいけど。あの子ら真面目にかるた頑張るんやったら、南雲会の誰かに時々練習見てやってってお願いもしやすいんやけどなあ……)
 本当なら自分が卒業後も時々出向いて後輩を見るのが筋だが、東京へ進学する新が頻繁に帰郷する事は難しい。だから南雲会の人に自分の代わりをお願いするなら、後輩達が真剣にかるたに取り組んでいる事が大前提になる。
(やけど、近江神宮で言うたのも本音や)
 宿で太一や千早から指摘を貰った「ファンクラブ」という話。チームメイトとしての仲の良さまで否定する気はないが、そちらを優先してかるたが二の次では困る。ましてや自分の関心を惹きたいだけなどと知ってしまっては、かるた部を立ち上げた事自体を後悔したくなる。
(……千早の後輩って子は太一がかるたに真剣やで、自分も同じ視界に入るんやって頑張ってる、って千早のメールに書いてあったな。……確か、二年ときの団体戦の後に、うちの学校が共学かー、とか聞いてきてた子やなあ? ……面食らっつんて答えられんかったけど)
 部員達にちゃんと分かってもらって、千早経由にはなるがその後輩にもお礼を言えるようにしたい、と新は気持ちを引き締め直した。






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written by Hiiro Makishima