Conflict 6
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「よっこらせ……っと。……ふう。原田先生が来られてるのにベッドの上で申し訳ないんですけど、大人ししてえんと怒られてまうんで……由宇、こちら白波会の原田先生や。こないだ決定戦で戦った」 ベッドに戻った新は目上である原田に非礼を詫びてから、面識がないだろう由宇に原田を紹介した。原田はよろしくとごく短い挨拶をするだけに留めた。今の状況では細かい事を言っても仕方がないと思ったのだろう。 「初めまして。……新の隣の者で、芦野由宇と言います。……あ、椅子どうぞ」 原田は礼を述べて勧められた椅子に腰を下ろした。 「先生、膝はもう何ともないんですか?」 「おかげさまでね。ぼくより、君はどうなのメガネくん。あ、これお見舞いね」 由宇の虚を突くタイミングで原田は見舞いの風呂敷包みを彼女の手にひょいと渡した。突き返してやりたいと一瞬思ったが、これは新宛てだからと思い直してぎこちない礼を返す。 「……まだ、治療の途中なんで何とも言えんのやそうです。ガーゼ当ててるんで眼鏡がかけられんから、本も読めんので、いちんち(一日)中ベッドでぼさーっとしてるのは慣れんのですけど」 原田は太一が切り出しやすいように敢えてフランクな空気を作ろうとしている。新までが同じように落ち着いて受け答えをしていた。由宇だけは警戒心の残る目で原田や太一を見ているが、口を挟む気はないらしい。 (言わなきゃ……言わなきゃ……最初の一言、新に言わなきゃなんねーのに……) 心臓がバクバクして煩い。脚が震える。唇が糊付けされたように動かない。酸欠になったように息苦しくて、周囲の音や気配がすうっと遠ざかっていった。廊下で新に会わせて欲しいと頼んでいた時、病室のドアの隙間から顔を出した、片目をガーゼで覆ってパジャマを着た新を目にした瞬間、太一の全身に実感が重くのしかかったのだ。 いつ膝が崩れたのか太一は覚えていない。だがいつの間にか指先がリノリウムの床の冷たさを感じ取っていて、そのひんやりした感触が太一の背中を押した。 「あら、た……」 パタ、という音は新の耳にも届いていた。太一の掠れて強ばった声はベッドより低い位置から聞こえている。ただ裸眼の今は誰がどんな表情をしているか全く分からない。それでもぼやけた輪郭から、太一が床に座り込んでいるらしい事は分かった。 「……ん、何や」 多分普通の声は出せただろう。口数が多い方ではなかった新は短い東京での生活で、訛りと相まって自分の話す言葉が人にはぶっきらぼうに聞こえる事があると知った。祖父が常々言っていた「イメージの大事さ」は何もかるたに限った話ではない。心をリラックスさせる事を覚えて以来、新は日常でもよく笑えるようになった。そして今も。 「───新、ごめんっ! 謝って済む問題じゃない、それは分かってる。だけどおれは、会って謝りたくて来たんだ……新を殴った事も、昔卑怯な手を使っておまえに勝とうとした事も! 本当に……悪かった。ごめん! ごめん……っ」 太一は床に座り込んだまま両手を付き、頭を下げ、迸るままに言葉を続ける。 「許してもらえるなんて思ってない。許されなくても当然なんだ。……でも、それでも……っ、おれは……新と、友達でいたい! 友達に、戻りたいんだ!」 ぐちゃぐちゃの感情で後は言葉が続かない。何か言いたいのに涙が止まらなくて声にならなかった。 「……」 太一が床に土下座したまま泣きじゃくっているのは声のする位置と様子で分かる。眼鏡を掛けていないのに、新の脳裏に同じ姿が映し出され、新は少し目を伏せてそれがいつの記憶かを手繰り寄せた。 『ごめん! 千早は相手がうんと格上なの分かってたから、おれが勝たなきゃいけなかったのに!』 (……ああ、ほうや……ほやったなあ。すごい楽しかったなあ。負けたのに楽しかったなあ……) 「新、おれ……千早が好きだ。けど……おれはお前に随分酷い事をしたから……あいつの事───諦」 「───やめれや」 遮られるように頭上から降ってきた新のどこか固い言葉に、太一ははっと顔を上げた。 「譲るとか、諦めるとかやったら、聞きとないで帰ってや。太一……おまえの言う友達って、罪悪感から相手に情けかける事なんか? ……ほんなもん、友達って言(ゆ)わんし、ほんな友達やったら要らん。おまえ、おれを馬鹿にしに来たんか? 違うやろ」 「……え……」 新はふいと横を向いている。 「言ったが、決めるのは千早やって。おれかって譲る気ない。ほやけど千早が自分で決めた事やったら受け入れる。……あ、ほうや太一、ちょっと手ぇ貸して。……行儀悪いんやけど、トイレ行きたい、おれ」 そう言うと新はベッドから降りようと身体を捻る。慌てて太一が立ち上がると、新は太一の肩を掴んで自分の身体を支えようとする。急いで太一も新の手の下に自分の肩を差し込んで、安定を取りやすいよう片手を新の背中に回した。 「……ぐっ?!」 太一の鳩尾にずしんと衝撃が走る。一瞬の事に息が詰まったまま呆然としたままでいると、新の声が鼓膜を打った。 「……お返しや。友達って、対等なもんやでの」 そう言ってベッドに戻る。 「う、げほっ、ごほ……っ、はぁ……痛ってえ……」 思い出したように身体が空気を求め、太一は咳き込みながら呼吸を繰り返す。目の前が滲んでいるのは新の対等という一言のせいか、鳩尾にきつい掌底を──誰一人再現できない新の「超加速」。その速さと力が呼吸の継ぎ目を狙って飛んで来た──くれたせいなのかは太一本人でさえ分からなかった。 「メガネくん……、いや、新くん。ありがとう。手荒い赦しだが、今のまつげくんには言葉よりも伝わるものだろう。私からもお礼を言わせてもらうよ。本当に、ありがとう。そしてうちの弟子が迷惑を掛けてしまって、本当に申し訳ない」 原田が椅子から立ち上がり、深く一礼する。 「原田先生、頭上げてください。……おれ個人はこれでいいと思ってますけど、先生らは多分、まだ色々大変なんでないかって思いますし……あ、ええと……」 自分を取り巻く環境の事だけに、自身が口にしていいのかどうか新は迷ってしまう。 「分かっているよ。君のご両親の想いもある。……そしてかるた界においては、君は綿谷始永世名人のお孫さんで、その名に恥じないだけの実力を持った、優れた選手だ。君に大きな期待を寄せる役員も多い。だけど私も白波会の『先生』なんだ。全部覚悟はした上でここに来ているつもりだよ」 原田の言葉には揺るぎない信念が込められていた。それを聞いて新はほっとする。原田先生が付いていてくれる限り、きっと太一は大丈夫だろう。 「……真島さん、私から少し聞いてもいいですか」 それまで口を挟まなかった由宇が初めて口を開いた。 「え、はい」 新のきつい一発で滲んだ涙を慌てて拭う。何を言われようと、それは自分が逃げずに聞かなければならないものだ。由宇はしばらく考えた後、太一の顔にきっと視線を据えた。 「真島さん、昔からクラスの中心に居たって新から聞いてます。勉強もスポーツも出来て、家もお金持ちで、って」 「え……まあ……」 勉強やスポーツは努力の賜物だが、太一はそれを人に見せたがらないため、傍目には万能と思われていたのは間違いない。そして自分自身それを、特に千早に対しひけらかしもしていた。太一の曖昧な返事を聞いた由宇が片足で床をダンっ、と踏む。新に説明されるまでもなく、それは彼女が酷く怒っていると伝わる動作だ。太一の身体がびくっと強張った。 「クラスのリーダー格やったら、千早さんより先に真島さんが止めるべきやったんと違うか? 新の福井弁をノートに取って笑ろてたって子やら。外国の人が英語話すのは何も言わんのに、福井のもんが福井弁喋るのはなんで笑われなあかんのやし? 東京の言葉喋れるのは、人を小馬鹿に出来るほど偉い事なんか?」 「……」 さっきまでは極力方言を抜いて話していた彼女が、今度は新が使うのと同じ言葉で厳しい目をして問うてくる。由宇は容赦せず更に言葉を継いできた。 「新んちの経済状況は新のせいでないやろ。それと同じで真島さんちが裕福なんも、あんたが自分で稼いだもんでもない。生まれる土地かって選べん。ほやのに、からこうて。言ってて恥ずかしないんか?! 言われるもんの気持ち、考えた事ないんか?! 何黙ってるんやし! 答えねま!」 由宇の痛烈な言葉はあまりにも正論で、太一には返す言葉がない。 「……由宇、おまえかって引っ越した経験ないんやで、それ言うのはフェアでないざ」 新が穏やかに割って入った。まさか新が庇ってくれるとは思わず、太一は呆然と新の顔を見るしか出来ない。 「ほれに、やっぱ太一には感謝もしてるんや。対抗意識やったとしても、白波会の場所調べてきてくれて、一緒にかるたしてくれたが? あの時間は今でもおれの宝物や」 「……新は『いいやつ』って綿谷先生によう話してたけど、さっきのは私の本音やざ。……ほやけど、新がそう思うんやったら、もう言わんとく」 由宇が大きな息を吐いた後、きつい事を言ってすみませんでした、と太一に頭を下げてきた。 (そうだ……おれにとっても、あの時間は……すごく、すごく楽しくて……) 太一の頬をまた新しい涙が伝い落ちる。悔恨の涙ではなく、三人でかるたを取った時間を宝物と言ってくれた事への、透き通った素直な涙。 「のぉ、太一」 「……え?」 新に呼ばれて太一は過去に向いていた意識を強引に現在へと戻す。 「退院したら、いっぺん……うち泊まりに来んか? ……アホな話とか、下らん事とか、なんか太一ともっと喋ってみたいんや」 「……は?」 予想外の言葉に新の顔をまじまじと見てしまう。見間違いかと思って何度も目を擦るが、確かに新は笑っていた。 「……新、おまえって……いや、うん。……退院したらな」 「はっはっは、男同士の馬鹿話、大いに結構じゃないか。ぼくもあと四十年若かったら混ざりたいけどねえ」 原田が豪快に笑う。 「……幸せだねえ。まつげくんもメガネくんも」 しみじみとした原田の言葉が太一の胸に静かに染み渡っていった。 |