Conflict 4
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真島家の広いリビングに息が詰まりそうな空気が満ちている。元々息子がかるたにのめり込んでいる事を快く思っていない母の麗子は、帰宅した太一が師匠だと紹介してきた原田にも、やはり好感情は持てないでいた。 「息子がいつもお世話になっておりますようで……」 それでも如才なく挨拶は交わす。原田の職業が夫と同じ医師であるというのも理由の一つだ。 「いえ、こちらこそ急にお邪魔して申し訳ないです。……どうしても直接お伺いしてお話しないといけない事がありましたので」 原田はかるたの時と同様、まず自分から口火を切って麗子の陣に切り込んだ。 「あの……先生、おれが自分で話します」 太一がその原田を抑えて言うと、原田もそれは予想済みだったのかあっさりと彼に下駄を預けた。 「母さん、真面目な話だからちゃんと聞いて欲しい。……おれは、友達を殴って目に怪我させました。ごめんなさい」 「……えっ?」 麗子の困惑は手に取るように分かるが、太一は話を続けた。 「そいつ……新は今、片目が見えなくなって福井で入院してるんだ。だから、おれ……新に謝って来たいんだ。来週ぐらいになれば面会も可能だって聞いたから、福井まで行ってくる」 「そんな、太一……こんな大事な時にあなた……だからママは前から言ってたじゃない。かるたなんかにいつまでも関わってないで、将来を見なさいって」 まだ事情が飲み込めない麗子は受験前のこの時期に遅れが出る事の心配が先に出てしまうようだ。 「……人ひとり傷つけておいて、知らん顔で、よりによって医者になる勉強なんて出来る訳ないだろ。殴った本人が言うのも変だけど、下手すりゃ刑事罰もんの話なんだ。……それに、もう二度と友達から卑怯者って言われる人間にはなりたくない。母さんはかるたなんかって言うけど、おれにそういう大事な事を分からせてくれたのは、かるたと、そこで知り合った先生や先輩、それに友達……新なんだ」 太一の視線は母親にまっすぐ向けられたまま一度もブレていない。その迫力に麗子の方が気圧されてしまった。 「お母さん、私も彼と同行しますから。……太一くんさっきねえ、私のところへ来て小学校の時の……うちの会に来る前の事まで正直に話してくれたんですよ。ぼろぼろ泣きながら。……バカだよねぇ、黙ってりゃ分かんない事まで言っちゃって」 「は、原田先生っ?!」 突然原田にバカと言われた太一は裏返った声を上げる。原田はわっはっはと豪快な笑い声を上げながらそんな太一を手振りで宥め、一転して穏やかで深い声音で話を続けた。 「……でも、それが今の彼の『原点』なんでしょう。そこから逃げない人間になりたいと以前私に言ってきた事がありますよ。……そんな子だから、私も師匠として出来るだけの事はしてやりたいと思うんです」 「原田先生……ありがとうございます。同行、お願いします!」 太一はソファから立ち上がり、原田に向かって深々と頭を下げた。完全に自分を無視した格好でのやり取りに、麗子は言い返す言葉を失って、勝手になさいと部屋へ引っ込んでしまった。 「……良かったのかい? まつげくん」 結局原田が辞去するまで麗子は部屋から出てこなかった。太一は小さく肩を竦めてみせる。 「多分、親父に電話してんだと思います。……でも、親父は止めないでしょうね。……男だから」 原田は太一の肩をぽんと叩く。太一がそちらを向くと、ひどく真剣な面持ちの原田と視線がぶつかった。 「まつげくん。……勿論ぼくも、栗山くんに精一杯の口添えはする。ただそれでも、君にとって当分厳しい時が訪れるかも知れない。それは、分かるね?」 世の中には取り返しのつく事と付かない事がある。今の名人がかるた界きっての問題児と言われているだけに、永世名人を祖父に持つ新に大きな期待を寄せる者は多いのだ。覚悟はしているつもりでも、太一の鳩尾がきゅうっと締め付けられて痛み出す。 「はい。もしかしたら謝ってどうにかなるレベルの話じゃ済まないかも知れない、それは分かってるつもりです。……だけど今のおれには、謝る事しか出来ない。たとえ許してもらえなくても、謝るしか……ないんです」 「……うん。後はメガネくんの怪我が浅い事を天に祈ろう。じゃあ、来週」 原田の後ろ姿が見えなくなるまで太一は立ちつくす。 (天に……いや、かるたの神様がいるなら……お願いです。おれの目が潰れてもいい。……だから新の目だけは……身勝手な願いだって分かってます。でもお願いだ……) 太一の吐く息が白く立ち上る。どうかそのまま天に届いて欲しいと強く強く思わずにいられなかった。 ◇ ◇ ◇ 瑞沢かるた部の部室には相変わらず微妙な空気が流れている。 「千早、ちょっと」 咳払いを一つして、太一が呼びかけると千早は飛び上がるように身を竦ませた。 「ひぇっ?! ……な、な何?!」 「おれ、週末に原田先生と……福井に行ってくる」 部室に居た全員がその一言にはっと息を飲むが、唯一千早だけ理由が別だった。控え室で何があったのか、屋外で呆けていた千早だけが知らないままなのだ。 「福井って、新のとこ? ……え、何で太一と原田先生が?」 奏が千早を止めようとしたが、太一に手振りで制され、奏はそれ以上口を挟めなくなった。 「決定戦の後……おれ、新を殴った。それで今、入院してるから……謝りに行く」 「入院っ?! 太一、一体何で?! 殴ったって何で?! ……太一、新とは友達でしょ?! ねえ、何で?!」 千早は太一の両腕を掴んで揺さぶるが、太一はそれ以上何も答えない。それでもなお千早は食い下がった。 「───千早ちゃんっ!」 パシンと乾いた音が部室に響いた。 「かな、ちゃん……?」 千早は驚きで目を丸くし、片手で頬を押さえている。太一に詰め寄っていたその間に割り込むようにして平手を繰り出した奏は両目に涙を溜めて千早をきっと見据えていた。 「千早ちゃんが恋に疎いあんぽんたんだって事は分かってます。でもそれじゃ真島部長、あまりにも報われなさすぎじゃないですか! 部長だってずっと、ずっとずっと千早ちゃんの事だけ見ていたのに……ッ! 千早ちゃんがあんぽんたんじゃなくなるまで、ずっと我慢していたんですよ?! なのに、そんな風に問い詰めるなんて、真島部長を追い込むだけだって、分かりませんか?!」 あんまりじゃないですか、と奏はついに泣き出した。 呆然としている千早の前に、今度は菫が立つ。 「私の入部動機は先輩も知ってますよね。だから本音を言えば、綾瀬先輩が綿谷さんの告白を受けてくれたら私にはラッキーなんです。……でも、綾瀬先輩は真島先輩の気持ちどころか、自分の気持ちがどこにあるかさえ全然、分かってないじゃないですか! 真島先輩が綿谷さんに手を上げたのも、綾瀬先輩が綿谷さんをずっと見てた、その気持ちからじゃないですか! 何でそれが分かんないんですか?! 真島先輩は、自分になりたいって、あんなに必死に頑張ってるのに!」 いつもあれだけ見てくれに気を遣う菫が、マスカラが流れるのも構わず泣きながら言う。 「あ、いや……二人とも……そう言ってくれるのはマジで嬉しんだけど、今のままじゃおれ、どこにも進めない。新に許して貰えるかも分かんねーけど、ここで逃げたらおれは、自分で自分を一生許せない。だから行くんだ。……千早、お前が新とまたかるたがしたいってずっと思ってたのは、おれが一番よく知ってる。だから……ごめん」 奏と菫を押しのけて太一は深々と頭を下げた。 「新は今、片目が見えてない。……おれが殴ったのが原因だ。そろそろ面会謝絶の札は外れるらしいけど、視力が戻るかどうかはまだ何とも言えないって……この間、南雲会の村尾さんが教えてくれた」 「……えっ……」 太一が何を言っているのか意味が分からない。言われた言葉だけが何度も頭の中を谺するのに、それがどういう事なのかどうしても掴めない。 「千早……」 「真島、おまえは言わなきゃいけない事はもう言った。だから、それ以上はもういい」 重ねて言おうとした太一を、西田が腕を取って止めた。 「綾瀬。真島は逃げないでちゃんと話したんだ。だから後はお前自身の問題だ。……どんな答えを出すにしろ、逃げずに考えた事ならそれでいいと思う」 呆然としたまま千早は部員の顔を見回した。皆一様に甘えを許さない目で千早を見ている。 「逃げないで話したんだからそれ以上言わなくていい」と西田は言ってくれたが、太一はもう一つ千早に言っておかなくてはならない事がある、と静かに口を開いた。 「今のおまえにはショックでかいだろうけど……今しか謝るチャンスもないと思うから、言うよ。……小学校のかるた大会で、負けるのが怖くて新の眼鏡を隠したのはおれだ。千早に嫌われたくないから言わないでくれっておれが頼んだ事を、新はずっと守ってくれてた。……ごめん。……西田、逃げないで話したって言ってくれて、ありがとうな。……今のおれには一番嬉しい言葉だった」 千早はぺたん、と床にへたり込んでしまった。後の判断は千早に任せると言って太一が部室を後にしたのも、他の部員が出たのも全く気がつかない。外が暗くなってきて、顧問の宮内に無理矢理部室を追い出された千早は魂が抜けたようにふらふらと自宅へ向かった。 |