保湿系トライアルセット

乱り風  3

少しだけ「むらさめの」と話が繋がってます



 千早の様子を窺いながら本を読んでいると、ポケットに入れておいた新の携帯が振動を始めた。寝ている千早を起こさないよう玄関へ移動しながらディスプレイを見てみるが、十一桁の番号が表示されているだけで名前は出ていない。
(あ、この番号、千早のお母さんか)
「はい、綿谷です」
 そっと外に出て電話に出ると、電話の向こうから聞き覚えのある女性の声が「綾瀬と申します」と名乗った。
「あ、こんにちは」
『……うちの千早が熱を出したと聞きまして……あの、もしかして以前うちに来た、あの綿谷くんかしら』
「はい、そうです。あの時はありがとうございました。ええっと、メールにも書いたんですけど、熱が高かったもんで原田先生に診て貰うのに、ひとまずうちに連れて来ました。独断で済みません」

 親戚の結婚式で東京に来た時に色々世話になった事の礼をちゃんと言いたい所だが、千早の母の口調がやや急いているように聞こえた。きっと千早を心配して休憩中にわざわざ電話を掛けてくれたのだろうと新は挨拶もそこそこに、今の状況を簡単に説明した。
『こちらこそご迷惑お掛けしてごめんなさいね……それで今、あの子は?』
「あ、今は薬が効いて寝てます。……家の方に送った方が良ければ、目ぇ覚ましたらすぐおれ送って行きますけど……」
『いえ、あの……後でそちらに迎えに行ってもいいかしら』
 千早の母は何か探るような口調で切り出した。
(……いくら熱あるったかって、いっぺんしか顔合わせてえんし、男の一人暮らしんとこで寝てるって聞いたら心配して当然や……)
「はい、いつでも来て下さい。おれの方は何時でも構いません」
 アパートの目印や特徴を二言三言付け加えて通話は切れた。
「まあ、うち連れてきつんたのはホントやしなあ……」
 昼に目を覚ました時に送って帰っておけば良かったのだが、寂しがる千早に折れたのは自分だ。
「違う……言い訳や、ほんなもん。……おれが、付いてたかっただけやが……」

 ふうと息を吐き出してからドアを開けて部屋に戻る。なるべく静かに扉を閉めたつもりだが、やはり鉄扉は音が響く。千早が寝ている筈の部屋から、身じろぐような声が聞こえた。
「……ん、何……どうしたの、新……」
 まだ眠そうな目を薄く開けて千早が問うてきた。
「どうもせんよ。今さっき、千早のお母さんから電話あったとこや。後でこっち迎えに来るって言(ゆ)ってた」
「……お母さんが?」
 がばっと身を起こした千早は自分の鞄から携帯電話を取り出して着信履歴をチェックする。
「あー……やっぱり」
 千早が見せてきた着信履歴画面にはずらりと「お母さん」の文字が並んでいる。薬が効いて眠っていたせいで千早は気付かなかったのだろう。
「……千早のお母さんからしたら、当たり前やが。自分の子が熱出してるんやし、しかも居るのここやが? ……ほら飛んで来るって。……おれもこういう時どうする、とかはまだ福井の感覚どっかに残ってたんやろな。考え足りんくて、千早の家の人に心配かけさせてもた……ごめんな」
 近所付き合いが密接な土地で育った新にとっては、留守にしている家人が帰るまで隣近所の家が預かったりする事はどこでもよくある光景だったが、今は東京で暮らしているのだから、ここのスタンダードに合わせるべきだったのだ。
「新は、何も悪い事してないじゃん。謝る事ないのに」
 千早は納得がいかないという顔で言い返してくる。

 「千早、ちょっと聞いてくれるか?」
 新はきちんと座り直し、千早にまっすぐ目線を合わせてから口を開いた。慌てて千早も正座しようと動きかけたが、新は「千早は具合が悪いから構わない」と手で制した。
「前に千早のお母さん言(ゆ)ってたやろ、節度は守れって。それはつまり、千早の家の人を心配さすような事したらあかんって事や。心配の種残したまんまなのは良うないし、おれ自身、やっぱ千早には堂々と会いたいんや」
 そう口にする新自身、自分の考え方が昔とは大きく変わったという自覚がある。進学先を東京に決めた頃はまだ漠然としていたが、千早に好きだと伝えて以来、その漠然としたものが輪郭を露わにしたように感じていた。
「ほやで、今日かって考えようによってはいい機会なんやざ? 千早の事迎えに、ここ来てくれるが。前に千早んちで話した時みたいに、おれがどういう生活してるんか、どんな人間なんかって直に見てもらえるって事や」
「……でも新、うちのお母さんが分かってくれなかったら?」
 心細げな顔で問うてくる千早に、新は「大丈夫や」と穏やかに笑って返す。
「いきなり理解させれるとか、そこまで自惚れてはえんけど……分かってもらう努力は続けるし」

 千早が真正面から視線を合わせてきた。普段の新なら照れ臭くて視線を外したくなるが、今は大事な話をしているのだから、とその視線を真っ向から受け止めた。
「新、ごめんね。ちょっと気弱になってたみたい」
 珍しく先に視線を外したのは千早の方だった。自分自身、新の情熱を受けて立てる人間になりたいと思って頑張ってきたのに、と千早は小さく首を竦めた。
「強なってって、かるたの事か?」
「勿論そうだけど、それだけじゃないよ。競技線があってもなくても、誰の前でもちゃんと胸を張って立っていたい。……最近、特にそう思うの」
 普段のバイタリティに溢れた千早の声も好きだが、今の一言には落ち着いたトーンだったのに新を圧倒するような力が感じられて思わずドキリとしてしまう。
(今の……もの凄くいい声やったな……。静かやのに、強う響いてて。……本気でそう思ってるんやって、伝わってくる声や……)
「いい、言葉やの」
 日頃の千早は喜怒哀楽がストレートに顔や態度に表れ、新にとっては普段言葉を交わす女性の中でほぼ唯一、その言葉の裏を一々勘繰る必要がない相手なのだが、時折こういう形で千早のまっすぐさには良い意味で驚かされる。

 「……まあ難しい話はこの辺にしとこっさ。……お茶でも淹れるわ」
 新は少し無理に話題を変えて立ち上がる。千早の母がいつ迎えに来るか分からない上、玄関の鍵は開けてある。しかも今日千早が部屋に居るのは酷い熱を出したせいだ。
(……おれ大学入ってから、なんか堪え性無くなって来てえんか? ……今日だけは絶対、そういう気起こしたらあかんのに……て言うか、こういう事考えてる時点であかんけど……)
 話し込んでいる時の千早の瞳の煌めきに目が惹き付けられて、つい千早に触れたくなる瞬間が最近増えたと新は思う。大学に入る前離れていた分の反動でそうなのか、単に自分の自制心の問題なのか自分でもはっきりしない。
 新はなるべく時間を掛けて丁寧にお茶を淹れ、心を静める。盆の上に来客用のちゃんとした湯飲みを出し、お茶請けの羽二重餅をいくつか小皿に載せてからようやく振り返る事が出来た。

 「……熱いでの」
 そう言いながら盆を置く。
「あ、これ前に新がお土産ってくれたやつだよね。えっと……あ、そうそう羽二重餅!」
 千早はお茶請けに手を伸ばし、早速包みを剥がして一つをぽい、と口に入れる。
「まだ色々美味いもんとかあるし……連れてったげたいの。いつか……」
 地元産の商品を扱うアンテナショップもあった筈だが、東京で買うと割高な物も多く、また新にとってそれらは故郷の風景と切り離す事ができないものだ。
(ほや、千早連れてくんやったら尚更、家の人にちゃんと分かってもらわなあかん。……かるたでも何でも根っこは同じや)
 昔、佐藤先生に「最終目標に至るため、目の前の小目標を持ちなさい」と諭された通りだ。千早に福井を見せてやる事を、かるたで名人になるという新の夢と同じ位置付けとするなら、千早の家族にちゃんと信頼してもらえるようになるという事は東西代表になり、挑戦者決定戦で勝つという個々の目標と同じになる。
「……新、なんか試合の時みたいな顔してるね」
「え、ほうか? ……んー、まあ、そうかも知れんの」
 何にしても一つずつ越えていくしかない。そう心を定めた後、ふっと表情を和ませ、新も羽二重餅を一つ口に頬張った。

 


オマケ







written by Hiiro Makishima