保湿系トライアルセット

乱り風  2



 「……う、……ん……」
 ぼんやりと開いた目に、天井と照明の傘がだんだんはっきりした像を結ぶ。見慣れない景色にここはどこだろうという思いが兆し、それが引き金となって急速に千早の意識は覚醒した。
「そ、そうだ……私学校で倒れて……」
 熱を出して倒れた自分を新が背負って部屋まで連れてきてくれ、原田先生に往診を頼んだのだと思い出し、千早はがばっと跳ね起きた。ぐるりと辺りを見回すが、新の姿が見えない。
「あ、メモ……」
 枕元にレポート用紙を切り取ったメモが置かれている。中を開くと新の筆跡で「買い物に行ってくる」とあった。
「汗かいてたら、ちゃんと着替えて、か……」
 メモが置いてあった側には新のスウェットスーツが畳まれていた。そう言えば背中がじっとりと湿っている。寝付く前に新が掛け布団を首元まで被せてくれたおかげだろう。

 もそもそと布団から這い出て、着ている服を脱ぎ、額に当ててくれていた濡れタオルでざっと身体を拭う。眠っている間にかなり汗をかいたのが良かったのか、今は随分と身体が楽だった。新が置いていってくれた服に袖を通す。
「わ、ぶかぶか……」
 千早も決して小柄ではないが、やはり男物の服を着ると袖や裾丈がそれなりに余る。手の甲の半ばまでを覆う袖を見て、これが新の腕の長さなんだとふっと思い、札を払うようにぶんと腕を振った。
(あ、服も新の匂い、してる……)
 何だか新にすっぽりと包まれているみたいだ……そう思った途端気恥ずかしくなって顔が熱くなる。どうにかしたくて、往診に来た原田が手渡してくれたスポーツドリンクの残りを一気に喉に流し込んだ。
「ふー……」
 絞り直してきたタオルで顔を拭うと少し気分が落ち着いてくるが、頭が冷静になってくるにつれて今日だけで新にどれだけ迷惑をかけただろうかという思いがよぎり、だんだん申し訳なさに涙が出そうになってくる。

 玄関外の通路を誰かがこちらに向かって歩いてくる微かな物音を耳が捉え、千早は大急ぎで目元を拭う。その直後にドアをそっと解錠する音が飛び込んできた。
「……あ、起こしてもたか?」
 やはり新の足音だった。手に提げたレジ袋を床に置き、千早の側に腰を下ろして片手を額に当てて熱を測る。
「だいぶ顔色良うなったみたいやし、熱も落ち着いたっぽいの。安心したわ」
「ごめん、新……ごめんねぇ……迷惑、いっぱい掛けて……ごめん……」
 同い年の新がこんなにしっかりしているのに、と千早は乱暴に目尻をまた拭う。
「何がやし。千早が元気になる方が絶対いいが? ……おれ、なんも迷惑やって思ってえんよ」
 新の福井なまりのある言葉がじんわりと身体に染み込んでくるようだった。新は冷蔵庫の前に移動し、レジ袋の中身を手早く片付けている。その耳が少し赤いのは千早の見間違えではないだろう。
「ほんな事より、飯食えそうか? 薬飲んどかなあかんやろ。……そっち持ってくで、寝て待ってねの」
 天袋から小鍋を出しながら、新は少し乱暴に言ってきた。
「……うん」
 「千早が元気になる方がいい」と言ってくれた新の思いやりを素直に受けようと、千早は布団に入った。そのままの体勢で台所に立つ新の背中を眺めていると、視線を感じたのか新が振り返る。
「……喉渇いたんか?」
「あ、ううん。……見てただけ」
「べ、別におれなんか見たかって面白ないやろ……」
 新は赤面しながら部屋の壁に立てかけてある折り畳みテーブルの脚を立て、千早の脇に置くと台所から鍋や食器を盆に載せて戻ってきた。

 「……口に合うか分からんけど、勘弁しての」
 茶碗に粥をよそいながら、新は早口で言い訳めいた事を口にする。
「これ、新が作ったの? ……すごーい。いただきます」
 起き上がった千早は目を瞠らせて茶碗を受け取った。
「わ、美味しい……あったかい。新は? 一緒に食べようよ」
「え? ……あ、うん」
 新は一度立ち上がり、冷蔵庫からタッパーを二つばかり手にして戻ってくる。小さなテーブルを挟んで、作りたての粥を食べるのは少しくすぐったい気分だった。
「食えそうやったら、こっちも食べね。……こないだ母ちゃんが送ってきたんやけど、食うのおれ一人やと飽きてまう」
 片方のタッパーには山菜の煮物が詰められていた。
「新、そっちは?」
「あ、こっちかぁ……いや煮物は煮物やけど……これ千早食えるんか、おれもちょっと分からん。……びっくりせんといてや?」
 そう断りながら蓋を開ける。輪切りの大根の煮物のように千早には見えた。

 「……大根だよね?」
「元はの。これ沢庵を炊いてあるんや」
 新の口から出た意外な材料に千早は好奇心をくすぐられて一切れを口にした。
「あ、ほんとだ。歯ごたえが少しお漬物っぽい。……あ、でもこれ、ピリ辛でご飯進むね。……どしたの、新?」
「いや……もっと抵抗あるかと思った。田舎の料理やし」
 そう答えながらも、千早ならそれもあり得るのかと内心思った。
(小学校の時も、唯一おれの言葉がヘンやとか言わんと、ほんとに普通に話し掛けてきたでなあ、千早は……)
「美味しい物に田舎も都会もないじゃん。私これ好きだよ? 新、食べないの?」
 そんな考え事は千早のあっけらかんとした一言で中断する。見れば千早は次の一切れをぱくんと口の中に放り込んでいた。
「……あ、ああ……食う。うん」
 千早に尋ねられるまま、沢庵の煮物が家庭料理として出来上がった背景などを新は自分の知っている範囲で話して聞かせ、粥とタッパーの煮物だけの簡単な昼食はのんびりと進んでいった。

 食事を済ませて薬を飲んだ千早は、新に言われてまた布団にくるまる。
「夕方んなると、また熱上がるかも知れんし……身体楽なうちに送ってった方がいいやろか」
「……ん、それはそうなんだけど……」
 妙に千早の歯切れが悪い。
「うち帰ったら、新も帰っちゃうでしょ……?」
 ふと往診の後で原田が漏らした「千早は案外寂しがり屋だ」という言葉を新は思い出した。
(……病気の時って、やっぱ気ぃ弱なるんやろの……)
「いいざ、寝てて」
 二、三度布団をポンポンと叩いて、新は休めばいいと告げた。
「……ありがと、新。……なんか、新の声って落ち着く……」
「福井弁やのに?」
 新に限った話ではなく福井弁自体、聞き慣れていない者には不機嫌そうに聞こえてしまう事が多い。だから落ち着くと言われるのは新にとっても不思議な事だった。
「うん……何だろう、聞いてると……安心するって言うか……」
「ふーん……まあ、いいけどの」
 多分自分の声が落ち着いて聞こえるというのは、千早を相手に話しているからだろうと新は思う。千早に構えた所がないから、こちらも楽に話せるのだ。小学生の頃、初めて口を利いた時から千早のそういう所は変わらない。
「早よ治るといいな。……ほしたら、また一緒にかるたしよっさ」
「……うん……」
 目を閉じる千早に、小さな声でお休み、と言ってから新は本棚から適当に一冊を引き抜くと壁に背中を凭れさせてパラパラとページを繰り始めた。



たくわん煮レシピ。そのまま食べられる沢庵を一手間かけて調理する事から「贅沢煮」とも。




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written by Hiiro Makishima