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 「そろそろ、出るか? ……大分、日も傾いてきたし」
「……そうしよっか」
 千早は立ち上がり、岩に置いたバスタオルを身体にきっちり巻き付ける。新も腰にタオルを巻き直して湯から上がり、千早の手を引いて露天の縁に上がらせた。
「うわ、外出るとやっぱ冷えるな。……少し急ご」
 足早に脱衣用の小屋へ戻り、浴衣と丹前を身に着ける。
「そろそろ夕食かな。部屋戻るんでしょ?」
「うん。タオル干したいし、流石に腹減ってきた」
「卓球でだいぶカロリー消費したもんね、今日はご飯が進みそう」
 他愛ない事を話しながら部屋へと戻る。濡れたタオルをハンガーに掛けて一息入れていると、部屋の内線電話が鳴り、夕食の用意が出来たと知らせてきた。
「あ、はい。ありがとうございます。……千早、広間行こ。ご飯やと」
「はーい。あ、携帯持って行こうっと。旅行の写真、少し撮りたいし」
 千早は携帯電話を袂に入れて立ち上がる。新もビニールバッグの中から自分の携帯を出し、千早から貰ったばかりの腕時計を填めた。

 「……今まで使こてた方の時計、どうしようかの。まだちゃんと動いてるし、処分するのも何か勿体ないなあ」
 廊下を歩きながら独りごちると、千早がじっと顔を見上げてきた。
「新が良かったら、それ……私使ってもいい?」
「え? 古い方か? ……別に構わんけど、ボロいし、ベルトのサイズ合わんかも知れんざ?」
 そもそもあの時計自体、そう高価な物ではない。高校生当時、時刻さえ分かればいいと適当に買ったものだった。
「いいよ? それにあの時計ってさ、新がかるた取った時ずっと使ってた物じゃん。……言ってみれば、血と涙と汗が染みついた一品?」
「……スポ根マンガの読み過ぎや」
 あまりにも大袈裟な言い回しに、新は片手で顔を覆って苦笑いを浮かべる。
「ん……まあ、欲しいんならいいけど。部屋に置いてきたで、飯食ったらあげるわ」
 千早がここまで笑顔になるなら、中古の時計も本望かも知れないと新は思い直した。

 大広間には既にかなりの宿泊客が席に着いていて、中には早々に出来上がっているのか赤い顔をした者も居る。
「わあ、ご馳走」
 二人が用意された席に腰を下ろすと、和服姿の仲居が膳にセットされていた固形燃料に火を付けてくれる。
「お飲み物、どうされます?」
 仲居の脇にはビールやジュースが並んでいるが、食事時にジュースというのもどうかと、新はお茶を頼む。
「あ、私もお茶がいいです」
 よく冷えて露がついたビール瓶を見ていた千早がふと何かを思い出したように口を開いた。
「ビールって言えばさ、原田先生が結構飲むんだよ。祝勝会とか。ちょっと聞いたんだけど、試合の合間に『どんだけカロリー摂るか分からないからな』って、おにぎりとかパスしたって言ってた」
 原田と祝勝会という二つの単語。新には心当たりが一つしかない。
「……次は飲ませんざ、絶対」
 新の目が見る間に鋭くなる。
「うわぁ……私すごく複雑。どっちも応援したいのに。……あ、そうだ」
 何か思いついたのだろう、千早の顔がぱっと明るくなった。
「私の祝勝会で原田先生にはガンガン飲んで貰えばいいんだよね」
「……なるほどの。ほれやったら、白波会と南雲会合同で祝勝会出来るし、いいの」
 新の表情も途端に和らぐ。千早は自分の湯飲みを新が手にしていた湯飲みに軽く合わせてきた。
「じゃあ、これはその約束って事で。……乾杯」
「……うん、乾杯。一緒に、勝とっさ」
 緑茶で乾杯を交わして二人はようやく箸を手にした。

 「わ、美味しい!」
 膳の上に彩りよく盛りつけられた海の幸を、千早は実に幸せそうに口に運ぶ。
(……ほんと千早は、美味そうに食うで見てる方は倍美味く感じるな……)
 福井で新鮮な魚介類を食べ慣れている新だが、隣で千早がこんな風に楽しく食べている様子を見ては、やはり旅館の食事に軍配を上げたくなってしまう。
「お二人とも座る姿勢が綺麗ですね。何かやっておられるんですか?」
 きちんと正座して食べている二人に、給仕をしてくれている仲居が問うてきた。
「え、あ……。競技かるたを、二人とも」
 同じ静岡の富士崎高校は強豪として知られている。新がそう言うと、高校時代の団体戦で実際に決勝戦を戦った千早は大きく頷いた。
「ああ、百人一首。……難しそうですねえ」
「いえ全然? 楽しいですよ、すっごく」
 千早は即座に言葉を返したが、ふと短い溜め息を吐いた。耳のいい新はその溜め息をちゃんと拾う。

 「どしたんや?」
 箸を置いて尋ねると、千早は苦笑を浮かべて新に視線を向けてきた。
「……あ、ううん。うちのお父さんとかもよく『難しい』って言うからさ、かるた。なかなか楽しさ分かって貰えないなあって」
 それは新にも覚えのある事だから、真顔で言葉を返す。
「言葉やと難しいとこあるかもの。……ほやけど、千早のかるたは見てるとホント楽しそうやって凄い伝わるざ? 練習で取ってても良う分かる。一生懸命で楽しそうやで、また一緒に取りたいって思うんや。試合で当たるって事は、一番近くでそのかるた見れるって事やしの」
「ありがとう。新に誉められるのが、一番嬉しい」
 ようやく千早の顔にいつもの明るさが戻り、新は穏やかに笑う。
「でも一番負けたくないのも新だけど」
「言わんでも分かってる」
 自分もそうだと視線をやると、勝ち気な瞳が煌めいて新の視線を受け止めた。

 「あ、そうや。……あの、済みません。部屋でかるたって取ってもいいんですか?」
 卓球勝負を切り上げた時の話を思い出して新は仲居に尋ねてみた。
「あ、そっか。読みはともかく畳打つ音って結構響くよね……」
 さっき「難しそう」と言ってしまった事もあってか、仲居はマネージャーに聞いてみると答えてその場を離れる。しばらくして戻ってきた彼女は、食事の後この広間でなら大丈夫だと答えてきた。
「お部屋の方はもう、お布団の用意済ませていますから……ここでしたら、まあ……畳もそう新しくはないですし、忘年会や何かで色々使いますから」
「あ、じゃあ私ちょっと部屋行って、札とプレーヤー取ってくる。新、鍵貸して」
 新が袂から鍵を取り出して千早が差し出してきた手の平に乗せると、素早く立ち上がった千早は浴衣の裾を翻す勢いで広間を飛び出していく。
(……千早さっき、プレーヤーって言わなんだか? ……用意周到やなあ……)
 千早の鞄が大きかったのは、キャンディの花束を入れてきたせいだと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。新の顔に苦笑が浮かぶ。

 「おっ待たせー!」
 多分廊下を全力疾走してきたのだろう。かなり早く千早が広間に戻ってきた。取り札の箱と、読みを録音してある小さな音楽プレーヤー、それに折り畳めるタイプのスピーカーを抱えて新の隣に座る。
「ほんな走らんでも良かったのに。……て言うか、浴衣のまま取る気か? 裾どうするんやし」
(まあ……それで困るのはおれの方やけど……)
「あ、大丈夫。試合用のスパッツ履いてきた」
「……何かもう、ほとんど合宿やな……」
 とは言え素振り用に自分の札は鞄の中に入れてきた新も、人の事は言えた義理ではないのだが。
「ほんならまあ、片付け済んだら一試合、やろっさ」
「うん!」

 そう言えば、と新は千早が持ってきた取り札の箱に視線を落とした。
「いや、おれ千早の札ってじっくり見た事ないかもって思ったでさ。……ちょっと見せてもろていい?」
「どうぞ? ……至って普通の札だと思うけど」
 千早に断って、新は蓋を開ける。良く使い込まれていると一目で分かる札がきちんと収められている。
「ああ、やっぱいい感じに使われてるな」
「……って、札の癖の事? ……あれ、もしかしてアンフェアだった?」
「ん? 大丈夫や。千早は丁寧に扱ってるの、札見れば分かるし。……ついでに言えば『弘法筆を選ばず』や」
 勝負の前だけあって、煽るように言うと千早は真っ向から受けて立つ。
「べー。じゃあ札のアドバンテージ貰っちゃう。……あ、ちなみに読みは五十嵐さんのCDから録音してあるけど、それでいい?」
「あ、うん。ほやけど序歌は入ってえんのやろ? ……どうする?」
 千早はしばらく考えた後、にっこり笑って言葉を紡ぐ。
「じゃあさ、また一緒に『難波津』だけ詠まない?」
「懐かしいの。……そうしよっか」







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written by Hiiro Makishima