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チェックインを済ませた千早と新は仲居の先導で客室に入る。襖を開けると畳のいい匂いが鼻をくすぐった。 「お茶をお淹れしますね」 「あ、済みません。……ええっと、これ……少ないんですけど」 お茶を差し出された後で、新は着くまでの間にそっと包んでおいた心付けを仲居の方へ滑らせた。慣れているのか、相手はすんなりとそれを襟の合わせに差し込んでから一礼すると部屋を後にした。 「新、大人みたい……すごーい」 千早は目を丸くしていた。 「まあ、うちのじいちゃん礼儀とか厳しかったでの。何でもほうやけど、慣れて疎かにしたらあかん、って」 「凄いねえ……私も見習わなくっちゃ……」 クイーンの座に就けば、それに相応しい振る舞いが要求される場面も時にはある。祖父が厳しく新を躾けたのも、名人になった時の事を考えていた側面も大きい。 「おれと居る時やったら、別に普段通りで構わんざ?」 それでも普段の千早が持つ魅力はそのままであって欲しいと思ってしまう。新は穏やかに笑って答えた。 「ん、ありがと。……あ、そうだ」 千早は自分の鞄を開けて中から紙袋を取り出し、新の前に座り直した。 「まだ一日早いけど、新、誕生日おめでとう! ……これ、私から」 紙袋を新の方へずいっと差し出してきた。 「ありがとう。……開けてもいい?」 千早が頷くのを見て、新は紙袋の中をのぞき込んだ。きちんとラッピングされた小さな包みと、ぱっと見た感じ円錐形のような少し大きな包みが中に入っていた。 「何かでっかいなコレ。……何やろう?」 言いながら包装を解くと、木琴のバチのようなキャンディが緑色の葉っぱと一緒に花束のように束ねられていた。 「可愛らしいけど、どういう意味なんか聞いていいか?」 「ほら、私の誕生日の時に新さ、誕生花って教えてくれたじゃん。それで私も何かちなんだ物って思ったんだけど、やっぱり男の人にお花そのものはどうかなあって思ったから、イメージが近い感じで、これにしてみたんだけど」 そう言えば千早の誕生日にはバラが描かれたカードを贈った事を思い出した。 「ほうやったんや。……ちなみに何の花なんや?」 「えっとね、よもぎ菊って言うんだって」 「よもぎ? ……って言うと『かくとだに』か?」 「あはは、やっぱり新も最初それ思い出した? ……私も最初そうかと思ったんだけど、調べたら似てるけど違うみたいで」 「かくとだに」に因むなら、誕生日プレゼントがお灸になってしまうと千早が言うと、流石に新も堪えきれずに吹き出してしまった。 キャンディの花束を一旦座卓の上に置き、もう一つの小さな包みを新は手に取り、包装紙をそっと外す。中には化粧箱に収められた腕時計が鈍い光を放っていた。 「え、いいんか? こんな立派なもん……や、勿論嬉しいけどさ、何かちょっと気になっつんて……」 抽選で当てたとは言え、旅行のお膳立てに加えて腕時計までプレゼントにとなると、千早はかなり負担が大きかったのではないかと思って心配になってしまう。 「いいよ? 勿論。色々見て回ったんだけど、この時計見てた時が一番、新の顔が思い浮かんだから選んだの」 だから喜んでくれたらそれが一番嬉しい、と千早は衒いのない表情で告げてきた。 「千早。……本当に、どうもありがとう。大事に、使わせてもらうな」 時計を脇に置いて、新は試合の時のように深く頭を下げた。正直に言えばそれでさえ足りないような気分でもあった。 「うん。大事にしてくれたら嬉しいなあ。ね、新。……付けて見せて?」 千早に言われ、新は腕に巻いていた古い腕時計を外し、千早がくれた新しい時計を左腕に填めた。 「……どうやろ?」 左腕を持ち上げ、千早の方に文字盤を向けて尋ねると、千早はにっこり笑って「似合うよ」と言ってくる。新は腕を戻して間近で今度はその時計を眺めた。大きめの数字は眼鏡を外していてもある程度時刻を読み取れそうで、そこにも千早の気持ちが込もっていると感じられて嬉しかった。 (来年の話すると鬼が笑うって言うけど……千早の次の誕生日、何か時計に見合うもんプレゼントしよ。半年あるし、何がいいか考える時間はあるで助かるなぁ……。て言うか来年の前に、今日や今日。時計のお礼には小さいけど、千早が一杯、いっぱい楽しいようにしたいな。……取り敢えず、最初は……) 「来る時言うてたけど、卓球。……風呂行く前にやってみん?」 温泉卓球の写真など、普段ならどうにも照れが先に立ってしまい遠慮したくなるが、今日はそういう事は考えないで千早がずっと笑っていられるように過ごしたい、と思って新は口を開いた。 「あ、いいね。じゃあ浴衣着よ? ……って、どこだろ」 衣装盆なら多分、押し入れの中だろうと当たりを付けた新は素早く立ち上がり、押し入れを開く。思った通り衣装盆の上に二人分の浴衣と丹前が畳まれて置いてあった。 「ここにあるざ。こっち、千早のやな」 どうやらこの旅館の浴衣は男女で染めの色が違うらしく、どちらがどちらか迷う事はなさそうだった。ピンクに染めてある方を千早に手渡し、新は自分用のオーソドックスな白地に紺色の方を手元に置く。 「あ、ありがとう。……えっと、ちょっとだけそっち向いててね」 千早の言葉に新は素直に従い、背中を向けた格好で自分も浴衣に着替える。 「写真撮るんやったら、旅館の人に頼まんとあかんかな。って言うか、ラケットとかどこで借りるんやろ。ちょっとフロントに電話して聞いてみるわ、おれ」 丹前を羽織りながら座敷を横切り、床の間に置かれた電話の受話器を取り上げてフロントの番号をダイヤルすると、さして間をおかず係の者が電話口に出た。 「あ、卓球のラケットってどこで借りれます? ……はい……あ、分かりました。えっと、そこの人に写真頼んでも大丈夫ですか。……あ、はい、ありがとうございます」 ラケットやピンポン球は大浴場へ向かう途中に卓球場があるので、そこで借りられるというフロントの返事を新は頭に叩き込む。 「千早、写真は携帯のカメラでもいいんか? 売店にインスタントカメラもあるみたいやけど」 「……動くしね。携帯でいいよ。……て言うか新、何か随分やる気みたいだけど……ちょっと意外?」 普段の自分を知っているだけに、千早にはやはり意外に見えるらしい。 「んー、まあ千早と勝負すんのは、楽しいでさ」 それがかるたならもっと良かったが、新はその部分を飲み込んで答えた。 「うん。私もかな。……かるたならもっと嬉しいけど」 「……おれ今、わざと言わんといたのに」 考えることは同じか、と新は肩を揺らせて笑う。 「まあ、いいか。風呂の用意もしてから行こっさ。……あ、貴重品金庫に入れとかんとな」 テレビ台の中にある貴重品用の金庫に、二人の財布や帰りの切符などを纏めて納め、鍵を掛ける。それから自分の鞄からバスタオルを取り出して衣装盆に用意されていた薄手のタオルと合わせて手に持った。 「私も準備オッケーだよ」 千早はビニール製の巾着型バッグに自分の荷物を纏めたらしい。 「千早、用意いいなあ。おれも今度から鞄の中に一つ入れとこ」 「……もう一枚持ってるけど、使う?」 千早は鞄から自分が使っているのと同じ、ダディベアプリントのバッグを出して新に手渡す。 「ありがとう。借りるわ」 新は礼を言って自分の風呂道具と携帯電話をその中に仕舞う。部屋の入り口に揃えられたスリッパに履き替えて部屋を出た。 「試合の時って袴だし、何か浴衣でもお互い違和感ないよね」 廊下を歩きながら千早はそんな事を言ってくる。 「まあ、見た感じはの。ほやけどスリッパ履いたまんまで卓球出来るんやろか。ちょっと自信ないのぉ」 「私も裸足の方が楽だけど。……て言うか袴あったらもっといいけど」 浴衣に袴、という組み合わせを思わず想像してしまい、新はまた吹き出す。二人してくつくつ笑いながら、大浴場前の広間に出た。 |