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 五月最後の夜、千早の携帯に宛てて明日会いたいと短いメールを送る。さして時間が経たないうちに、新の携帯が着信を知らせた。
『もしもし、新? ……明日は何も予定ないから大丈夫だよ』
「千早、どっか行きたい所あるか? かるた関係なしでもいいで」
 いきなりな一言に、きょとんとしているのが電話の向こうに見えるようだ。
『えー? ……うー……ん……。急には思いつかないなあ』
 瑞沢かるた部の様子は見に行きたいけど、と千早は答える。開校記念日で学校は休みだが部によっては集中練習などがあるらしい。
「……瑞沢の部室って、おれ一緒でも大丈夫やろか? 千早は卒業生やで先生とかも知ってるやろけど」
『え? マジで? 一緒に来てくれるの?! ……新の実績だったら女帝もウンって言うと思うし、聞いてみようか?!』
「んー……ほやな、ほんならダメモトで聞いてみてや」
 新自身、瑞沢の部室は一度足を運んでみたかった場所でもある。それなら、と待ち合わせは瑞沢高校の最寄り駅前に決めて電話を切った。

 誕生日プレゼントにしろ、明日の行き先にしろ、あれだけ散々考えた割には「かるた」というキーワードから離れなかった。
「ははっ。……結局かるた関係になるんやな、おれらは。楽しいでいいんやけど」
 小さく吹き出したところにメールが届く。
「……早っ。……って、あれ? 瑞沢の顧問の名前って、おれ聞いた事あったか?」
 千早からのメールには『女帝、オッケーしたよ』としか書かれていない。よく考えたら千早だけでなく他の部員からも「女帝」という渾名ばかりで顧問の名を聞いた記憶がなかった。
「今のうちに千早に聞いとこ……」
 新は返信メールにその事を短く記して送る。
(前に、お互いの過去の時間にはどうしたかって入られん、って話した事あったけど……これって、高校時代の千早の時間に、ちょっとだけお邪魔さしてもらう、みたいやな)
 明日は千早の誕生日だから主役を喜ばせるべきだと思うものの、瑞沢の部室を訪問出来るのはやはり嬉しい。千早から即座に返ってきた顧問名に目を通し、新は明日の準備を済ませて床に就いた。

 「新ぁー! ここ、ここー!」
 待ち合わせ場所の改札にはすでに千早が待っていて、乗り換えでやってきた新に大きく手を振っていた。
「ごめんな、待ったか?」
「ううん。じゃ、行こっか」
 千早は弾むような足取りでほんの三ヶ月前まで三年間通った高校への道を歩いていく。やがて学校の敷地をぐるりと囲むフェンスやブロック塀が見えてくる。正門前で千早は一度足を止め、新に向き直った。
「ここが、私が通ってた高校。新、瑞沢高校にようこそ」
 ここで千早達が三年間、様々な思いと共に過ごしてきたのか、と思うと卒業生ではない新にも感慨深いものが感じられる。その奥の玄関からひっつめ髪の女性が出てくるのが見えた。
「ありがとう。すごい綺麗な校舎やなあ。……千早、今こっち向かって来てるのが宮内先生?」
「え? ……あ、ホントだ。先生ー! お久しぶりでーす!」
 新の言葉にくるりと振り返った千早がぱあっと笑って大きく手を振ると、宮内も笑いながら正門前へとやって来てくれた。その顔には新も見覚えがある。大会中倒れた千早を控え室に連れて行った時に一緒に居た相手だった。
「綾瀬さん、相変わらずですね。……で、こちらが昨日聞いた?」
「……綿谷新です。よろしくお願いします」

 宮内に先導されて、二人はかるた部の部室がある離れた建物へと向かう。ぽつぽつ話しているうちに、宮内も新の事を思い出したようだった。
「あの時は大変お世話になりました。生徒達には私からあなた方の事を紹介しておきますから、後の指導は頼みますよ」
「はい」
 新と千早の返事が綺麗に重なる。
「高校時代の戦績は、どう紹介すればいいかしらね」
 現役高校生への指導だからか、宮内の問いは自分達が高校生だった時のものに絞られている。
「先生、新は凄いんですよ?! 高校選手権の個人戦は詩暢ちゃん破ってA級優勝したし、男子じゃ史上最年少で西日本代表にもなったし!」
 千早がもの凄い顔で宮内に返す。決定戦で原田に負けたため、西日本代表という戦績もあまり自慢にならないと新は思っているが、部員に対する説明だから、と何も言わずにおいた。

 「さ、ここですよ」
 新入部員大歓迎、と貼り紙がある引き戸を宮内が静かに開けて中に入る。まず千早が部室に入ると直接千早を見知っている後輩がわっと声を上げ、その千早が新に向かって早く入ってと呼び掛けてきた。
「……失礼します」
 新が部室に一歩踏み出すと、全員の視線が自分に向いた。宮内が「今日は二人が稽古を付けてくれる」と自分の戦績を挙げながら部員に紹介していく。普段なら気恥ずかしいが、かるたとなれば話は別だ。顔色一つ変えず挨拶を口にした。
「綿谷です。稽古とか指導とか、ほんな立派なもんでもないですけど……一緒に、練習させてもらいに来ました。今日はよろしくお願いします」
「新は凄いんだよ。男子史上最年少の西日本代表。最年少だよ?」
「ほんなもん気にした事ないざ? おれ。……代表で満足とかしてえんし」
 むしろ東西予選を勝ち抜いた後、決定戦と名人戦の二つを勝ちきる事が「本命」だという新の言葉を、面識のある筑波や菫は紅潮した顔で聞いているが、何人かの部員が新の福井弁を聞いてクスクス笑っている声が二人の耳に届く。

 「───今笑った子、誰」
 千早が珍しく厳しい声を出した。ちらりと視線を巡らせると幾人かが首を竦めている。それを受けて筑波と菫が立ち上がって振り返った。
「あんたたち、失礼すぎじゃない? せっかく先輩達が練習見に来てくれてるんだよ!」
「綿谷さん、うちの部員が失礼しました! 綾瀬先輩も、済みませんっ!」
 菫が部員を窘め、筑波は深々と頭を下げてくる。普段であれば「気にしていない」と済ませてしまうが、千早達が叱っているのは「部としての問題」だからフォローはしない。
「お二人とも、着替えてきて下さい。おれ達その間に畳とか準備しますから。……花野、そっち頼むな」
 後輩への注意は菫に任せるという事らしい。千早は頷いて新を更衣用の小部屋に案内し、交代で着替えを済ませる。他部の顧問も兼任している宮内は、その間に何か用事があるらしく職員室に帰ったと筑波が言ってきた。
「新……嫌な思いさせちゃって、ごめんね」
 小学校での事がある分、千早は余計気にしているようだ。
「なんも気にしてえんよ。……でも、気遣ってくれて、ありがとう。……ほんなら、かるたしよっさ。おれもここで取れるの楽しみやったんや」
 新が笑いながら拳を突き出すと、ようやく千早の顔にも笑みが戻り、新が突き出した拳に自分の拳をごつん、と合わせてきた。

 「先輩たち、相手どうします? いつも通りの総当たりでいいんですか?」
 筑波がやってきて尋ねる。千早はその練習方法に慣れている筈だから、新に対して聞いているのだろう。
「級も関係なしに総当たりなんや? 凄いな」
 南雲会でも総当たりで練習していたが、来ているのが奇数の時を除けば基本的に同じ級の相手と試合は組まれる。
「あ……はは。おれもそのおかげで強くなれましたし。先輩達手加減なしでしたから。綿谷さんも全力でお願いします」
「うん、もちろんや」
 元からかるたで手を抜く気など全くない。笑って頷き返すと、筑波はさっそく一回戦の相手を発表する。千早や新の相手にまず当てられたのは、さっき菫に叱りとばされていた数人の中の一人だった。筑波がその下級生をC級だと紹介してきた。
「よろしくお願いします」
「お願いしまーす」
 新の礼に、妙に軽い調子の礼が返ってくる。気を揉む筑波たちに小さく笑いかけて新は札を並べていった。

 「じゃあ暗記時間入ります」
 札の暗記を終えた新は、部室の中にぐるりと視線を巡らせる。以前聞いた話では、元は生徒会が使っていた部屋だったためホワイトボードや折り畳みできる長机などその名残があるらしい。今座っている畳は千早と太一が二人掛かりでここに運び入れたもので、新は所々擦り切れている畳表をそっと撫でた。
(……不思議やの。初めて来たのに、なんか懐かしい感じする……)
 高校時代の彼らが練習している姿が見えてくるような気がして新は小さく微笑む。その様子を対面に座るC級の部員は目を丸くして見ていた。
(過去の時間、か。ほんなのに触れられるって意味では、おれにとってこの古い畳の上で取れるかるたって、浦安の間で取るより嬉しい事やの)
 名人戦は何度でも挑めるが、この部室で取れるのは今日のこの一度きりかも知れない。
(ほやから……おれの持ってるもん全部で取って、楽しもう)
 畳が擦り切れているのは千早達の全力の証だ。それに全力で返すのが礼儀であり、最大限の敬意だ。読手が暗記時間終了を告げ、新は意識を目の前の試合に切り替える。「難波津」が読まれた途端に醸し出す雰囲気が一変し、向かいに座る千早の後輩は息を詰めた。
「……っ!」
 この綿谷という人はさっきまでとても穏やかそうに見えたのに、と対面に座る下級生はその雰囲気に飲まれる。先輩たちが失礼すぎると怒った意味をようやく理解した。

 「先輩、綿谷さん。どうもありがとうございました」
「おれも凄く勉強になりました。ありがとうございました!」
 筑波と菫が校門まで見送ってくれた。
「おれの方こそ楽しかった。本当にどうもありがとう」
 全力で楽しむと決めた通り、新は自分の持っているもの全てを出し惜しみしなかった。一試合目が終わる頃には、もう新の福井弁を笑える部員は一人も居らず、菫に叱られていた生徒などは身体を竦めていた程だ。千早と最後に取ったが拮抗した実力同士という事もあって一進一退の試合展開となったそれを、心から楽しんだ。
「またねー! また取ろうねー!」
 礼を述べて瑞沢高校を後にする。
「新、すっごい楽しそうに取ってたねえ」
 やはり千早は気付いていた。
「うん。本当に楽しかったし、あの畳の上で千早と取れたのが嬉しかった。……あ、えっとな、うちにケーキ買ってあるんやけど」
「え? 新がケーキ? ……それって、あの、もしかして……」
「……うん。まあショートケーキしかないけど」
 ホールケーキでは流石に二人で食べるのは厳しそうだからと、スタンダードなショートケーキを買っておいた。そう言うと千早が腕に飛び付いてきた。






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written by Hiiro Makishima