物をこそ思へ
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大学に入学して半年ほどが過ぎた。課題やレポートなどやる事は多いが、どうにかそれにも慣れてきたというのに、千早の表情はここ最近どうにも冴えない。 「……あ。千早、部活直行?」 練習場に向かってメインストリートを歩いていた時、別の棟からちょうど顔を出した新が呼び掛けてきた。 「あ、うん」 「ほっか。……おれ、図書館寄らなあかんで、少し後で行くわ。悪いけど先輩が聞いてきたら、そう伝えてもらえる?」 「……うん、分かった。……じゃあ、後でね」 千早と逆方向に走り去る後ろ姿を見送った千早の唇から溜め息がこぼれ落ちる。 実の所、新こそが最近の千早が冴えない表情を浮かべている理由だった。 (合格発表の後に、ちゃんと返事……したのに。……なんで新、素っ気ないんだろ……) 新からの告白を断ったのならその態度も納得出来るのだが、千早の受験番号が掲示板にあるのを一緒に見つけ、ベンチに移動してひとしきり泣いた後、隣に座る新に赤い目をしたまま、自分も新が好きだと答えた。 『あ……ありがと、の。……ええっと、ほしたら今日から、つ、付き合う……って事で、いいんか? ……おれら』 首筋まで真っ赤になってそう言ってきたのは新の方だったのに、それから半年近く、二人の関係は全く進展していない。一緒に勉強やかるたはするし、最寄り駅まで送ってくれるけれど、それだけだ。 「お姉ちゃんに言われた通り、ないのかなあ……魅力」 大学生になったのに、かるたばかりでデートもしないのかと一歳年上の姉が尋ねてきた事があった。それで千早は姉にだけ、何の進展もないと答え、それに対する千歳の一言が「かるたバカすぎて女としての魅力が足りないのでは」だった。 『……まあ、進み方は人それぞれだし。照れ屋な子なら切り出しにくいかもだけどね? お互い自然に望むようになった時、がいいんじゃないの?』 千歳はフォローするようにそう付け加えてくれ、千早も一応それで納得はしていた。 「……けど最近の新、並んで歩くと一歩横に身体逃がしてる。手が触れるなんて、試合前に札混ぜてる時ぐらいしか、ない……」 新に嫌われているのなら、手さえ繋ごうとしないのも理解出来る。けれど六月に誕生日を迎えた千早に、新は真っ赤になって照れながら何日もかけて選んだらしいプレゼントをくれた。添えられていたカードの文面にも、新の千早への想いが溢れている。だから尚更、新の態度が分からなくなってしまう。 「分かんない。……だけど、分かんないまま、このままなんて……イヤだ」 たとえ新の気持ちに変化があったのだとしても、それならそうと言って欲しい。恋人でなくなったとしても、新は一生かるたを通して繋がり続けていきたい相手だ。だからこそ有耶無耶にしたくない。 「……かるた。うん、そうだ……!」 ふと閃いた事があった。何にしても実行するのは部活の後になるからと、千早は一旦今の考え事を頭から押しやり、早足で練習場へと歩き出した。 「お疲れ様でしたー」 練習が終わり、部員達は互いに挨拶をして練習場を後にする。 「───新」 練習着のまま鞄を肩から掛けている新を、やはり練習着のままの千早は少し硬い声で呼び止めた。 「……なに?」 「勝負して。私と」 これまで一度も千早からのかるたの誘いを断った事がない新は少々面食らう。だが千早の真剣な顔に、それ以外の何かをも見出し、はっとして自分も表情を引き締めた。 「……分かった。うちで取るんで、いいんか?」 「もちろん。……行こ」 千早はそれ以上何も言わず、先に歩き始める。その後を新は大股で追い掛けて、大学からの帰り道を無言のまま並んで歩いた。 アパートの鉄扉を解錠して、新は千早を部屋の中に招き入れる。 「失礼します」 (……千早、やっぱいつもと違う。……いつもやったら『お邪魔します』って言うてんのに……) かるたの試合前の千早はいつでも真剣そのものだが、今日の彼女は真剣さというより「必死さ」のような物を感じる。それを裏付けるかのように、靴を脱いだ千早はすたすたと和室に入り、畳にきちんと正座して新を待っていた。 「……札とデッキ、今出すわ。ちょっと待ってて」 千早が何を考えているのか、新には掴めないままだが、真剣に試合を申し入れてきている事だけは疑う余地がない。鞄を部屋の隅に置いた新は本棚から自分の取り札とCDデッキを出して用意をする。 「───お願いします」 取り札の束を挟んで向かい合わせに新が腰を下ろすと、千早はきびきびした動作で一礼してきた。 「よろしくお願いします」 礼には同じだけの礼で返そうと、新も折り目正しく頭を下げ、札を開く。 いつもの千早なら試合の前半は、これまで積み上げてきた聞き分けの正確さを活かして丁寧に札を取っていく。それが今日は、一枚目からまるで終盤戦の如く、爆発するような勢いで新の陣に攻め入っている。速さ重視と言うより、ただひたすらガムシャラなように新の目には映っていた。 「……送ります」 そう言って差し出してくる札に、新は小さな違和感を覚えた。友札を分けるのでもなく、渡り手を避けるため新の陣に同じ音で始まる札がない物を選んでいる訳でもない。 (いつもと違う送り札……意図は、何や……?) 札を整理しながら新は素早く記憶を手繰り、今日に限って違っている送り札だけを頭の中で抜き出してみる。 (……『かぜをいたみ』、『あさじうの』……あと『みちのくの』か。……大体どれも、千早の方が反応早い札やとは思うけど……攻めがるたやで、ってだけでは説明付かんな、これ……) 釈然としないまま、新は最後に送られてきた「みちのくの」を普段通りの場所に置いた。 「……」 新が落ち着いた動作で札を並べ終えるのを、千早は唇を引き結んでじっと見る。 (私はかなちゃんみたいに歌の意味を深く理解してるとは言えない。……でも、新に気付いて欲しい。……今日の、この送り札……) まだ気付いてもらえないなら、次はこれを送ろう、と決めて千早は構え、スピーカーから流れる「音のはじっこ」を新より早く捕まえようと神経を研ぎ澄ませた。 (お願い、読まれて……!) 次も自分の意図通りに札を送るなら、それ以外の札でなおかつ千早の方が得意な物が読まれるのがベストだ。尋常でない集中がそう思わせるのか、自分を取り巻く空気が動く音さえ聞こえる気がする。そんな千早の鼓膜を、スピーカーの振動がもたらした、音が始まる前の波が打った。───少なくとも千早はそう感じ、動きを止めて粘ついているような空気を切り裂くように、競技線の中でたった一枚、真っ赤に光って見える札に指先を伸ばした。 『はやぶる───』 「ち」が音になるより早く指先が札をはね、向かいに座る新の表情にかすかな驚きが浮かぶ。千早は今度こそ意図に気付いて欲しい、と予め決めていた「よもすがら」を新に向けて差し出した。 (……けど、もし……気付かなかったら? ううん、気付いてるけど答えたく、なかったら……? どうすれば、話してくれる?) 分からない。それが苦しくて千早の視界がじわりと滲んだ。 |