うましみづ 2
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(熱い……喉渇いた……) 熱に浮かされて時折眠りが浅くなる新の思考はかなり断片的だった。眠る前に千早が居たような気がするが、それも熱で弱った自分が見た夢なのではないかという気もする。 (……水、飲みたい……) 夢だったかどうか考えようとする新を、激しい喉の渇きが邪魔をする。その時ふと、唇に冷たいものを感じた新は半分眠ったままそれを飲み下そうと口を動かす。かさかさに乾いていた唇が湿って、心持ち楽になった感じがした。 (冷たい。気持ちいい。……もっと、欲しい……) そう思ったのか声に出したのか、新自身分からないが、唇が柔らかく塞がれたかと思うと、少しずつ冷たい水が新の口の中に送り込まれてくる。新は喉を鳴らしてその水を夢中で飲み込んだ。 (……冷たくて、甘い……美味しい。水って、こんな甘いんや……?) 唇を塞いでいた何かが一旦離れたらしく、新はふうっと息を吐き、水を飲んだおかげでかなり喉が楽になっている事にようやく気が付いた。同時に頭の中がすっとクリアになる。 (……おれ、いつ起きて水飲んだんやっけ……? って言うか……あれ? 寝たまま……やな?) 状況が飲み込めず、新の両目がようやく開く。 「……う……」 目を開けたところで、眼鏡なしでは何が何だか分からない。すっかり習慣化している動作で片手で枕元を探ると指先が眼鏡のフレームを探り当てた。 「……千早?」 眼鏡を掛けた新の視界にまず飛び込んできたのは、気遣わしげな千早の顔だった。 「身体、起こせそう?」 「え……あ、うん」 起きられそうかと問われた事で、やはり自分はずっと横になっていたらしいと分かる。ゆっくりと上半身を起こすと額から濡れタオルがぽとりと膝の上に落ちてきた。 (あ……そうやった。熱出て寝てたら千早来てくれて、原田先生呼んでくれたんやったな……) 眠りに落ちる前の出来事をどうにか正しく思い出せるようになった新は、それならさっき喉を潤した水は何だったのかと疑問を感じた。 「今、冷凍庫で氷枕冷やしてる所だから。……喉、大丈夫?」 さっきより大分いいと答える新の視線がふと、飲みかけらしいスポーツドリンクのペットボトルを持った千早の片手に止まる。 「……あ、さっき飲んだのそれやった……んか……」 途中まで言いかけた言葉が喉で引っ掛かった。 (おれ……さっきまで寝てた、よなぁ? ……一体、どうやって飲……。……え?) うつらうつらしていた合間に柔らかく唇を塞がれた事と、千早が持っている飲みかけのペットボトルをようやく新の頭が結びつけて一つの答えを導き出した。 「……えーっと……。千早が、飲ませてくれた……?」 「え、その……う、うん。新、苦しそう、だった……から……」 新の問いに千早が消え入りそうな声で答えてくる。 「えっと、その……ありがとう……」 まさか千早が口移しで飲ませてくれたとは、と心底驚いたが喉が幾分楽になったのは事実だ。照れくささを必死に押し隠して新はどうにか礼を述べた。 「えと……どう、いたしまして……。あ、えっと私、お湯沸かしてくるね。こ、これ……まだ喉渇いてたら……」 ペットボトルを手渡して、千早はばたばたと台所に消える。 「……はー……顔、熱い……」 スポーツドリンクの残りを一気に飲み干した新の額から汗が噴き出す。眠る前に千早が乗せておいてくれたタオルでざっと顔を拭うと少しだけ気分が落ち着いてきた。 「……流石に腹減った……」 新はゆっくり布団から抜け出し、台所へ向かう。夕べから腹に物を入れていないせいで、少しふらつくが動けなくはない。コンロの前に千早が立っているのが見えて新は近付いていった。 「新、動いて大丈夫なの?」 足音を聞き取ったのだろう、千早は新が台所に入るやいなや心配そうに振り向いた。 「ん、朝より大分マシや。何か食わんとあかんなあって。……千早、お茶でも飲むんか? お湯沸かしてるけど」 新が言うと、千早は違うとかぶりを振った。 「原田先生がね、部屋の湿度を少し上げておく方が新の喉が楽だからって。……汗かいた後で身体拭くのにも使えるし」 「……確かに湯気当たってると、楽やな」 昔住んでいたアパートでは母がストーブの上にヤカンを乗せていた。あれも乾燥対策だったのだろう。 「……あ、何か食べるんだったよね。ゼリー飲料買っておいたよ。はい」 千早は冷蔵庫を開けて、手早く栄養摂取が出来るゼリー飲料のパックを新に手渡した。 「ありがとう。……あれ、そう言えば千早、飯は? 学食で食った?」 そう問うた直後に千早のお腹が小さく鳴る。 「か、買い物ついでにサンドイッチは買っておいたんだけど……」 食べ忘れた理由に思い至り、新の顔はまた真っ赤に染まる。 「ま、まあ……ほんなら、食べよっさ……」 手渡された冷たいゼリー飲料を額に当てて火照りを冷ましたい気分で新は部屋へ戻る。少し遅れて千早も部屋に戻ってきて、新の布団のそばに腰を下ろした。 「原田先生、他に何か言うてた?」 「えっとね、扁桃腺が腫れてるから熱が高いんだろうって。でも下がればケロっと治っちゃうからって言ってた」 原田が往診時に置いていってくれた薬を出しながら、千早は答える。 「あー……やっぱ、扁桃腺の熱なんか。……はぁ……」 小学生の時、千早や太一と出た試合の日の朝や、原田が名人戦に出た日の朝にも熱を出した新は、がっくりと項垂れて溜め息を漏らす。 「大事な事の前に、二回も熱出してもてるもんなあ、おれ。……もっと体調管理ちゃんとせんとあかんなぁ……」 「それ言ったら私だよ。試合中に倒れるとかさ。……みんなにも、新にも迷惑掛けちゃったし……」 千早の口から新より大きな溜め息がこぼれ落ちた。 「いや、おれは……。って言うか迷惑っちゅうんなら、今日のおれやがの」 「私だって前に熱出して、新に看病してもらったじゃん。……やっぱり私の方が迷惑掛けちゃってるよ」 妙な押し問答に新と千早は同時に顔を見合わせて吹き出した。 「何だろうね。どっちがより迷惑かとかって。……前に私が熱出した時さ、私が元気になる方がいいって新、言ってくれたけど……私も、同じかな。新が元気になってくれる方が断然いいよ」 「……ほうやな。薬服んどこ……って、あ。水持ってこんかったか、おれ」 千早が身軽に立ち上がり、台所からコップを持って来てくれた。 「……ふう。千早居てくれて、助かったわ。……本当に、ありがとう」 薬を服んだ新は布団に入り直して、改めて礼を述べた。 「今度、何かお礼させての?」 「大袈裟だよ、お礼とか。……あ、そうだ」 何か思いついたのだろう、千早はきらりと目を輝かせた。 「じゃあさ、二つおねだりしていい?」 「……どんな事やろ?」 千早はにっこり笑って言葉を継いだ。 「一つはね、あ、治ったらでいいけど……ほら、前に食べさせてもらった煮物、あれ食べたい」 「……沢庵の炊いたんか? ……ん、まあ……構わんけど」 人によってかなり評価が割れる品だが、千早が気に入ったならそれでいいかと新は思い直し、熱が引いたら母にもう一度レシピを聞く事にした。 「ほんで二つ目は?」 「……治るまで、頼ってね? 私の事」 しばらくの間、きょとんとして千早の顔を見上げていた新の肩が細かく震え出した。 「ぷ、……ぜ、んぜん、おねだりで、ないやろそれ……? ゲホっ、ゲホンっ! あー……笑うと喉痛い……」 「うわ、大丈夫?」 千早が気遣わしげに聞いてくる。 「大丈夫でない。……ほやで、ちょっと……甘えさせての」 言うなり新は片手を伸ばして千早の手を握る。小さく頷いた千早は座る場所を変え、新の頭を膝の上に乗せた。 「……さっき、水飲ませてくれたのってさ、びっくりしたけど……何か凄く旨くて、身体の奥に染み込んでくみたいで、生き返ったみたいやった……」 そう告げながら、ペットボトルに残った同じスポーツドリンクを飲み干した時にはそこまでの甘さを感じなかった事を新はふと思い出す。 (千早が飲ませてくれたで、甘かったんかな。……そう言えば古文やと『旨い』に『甘い』の意味もあるんやって、昔どっかで習ろた覚えあるな……) 新が育った福井は水の良さや地酒の旨さでも知られている。いい水がいい米を作り、旨い酒を造るのだという。そしてもっと古い時代の酒というのは「巫女が米を噛んで吐き、器に貯めて発酵させた物」だとも教わった事がある。 (巫女さんは神様に仕える人で、その『神』に掛かる枕詞が『千早振る』。……ちょっと、こじつけが過ぎるかの。……やっぱ熱でちょっと、発想がぶっ飛んでるんやろか、今日……) 「……どしたの、新?」 千早が訝しげに見下ろしている。新がくつくつと笑いながら考えていた事を話すと、千早は明るい笑い声を上げる。 「新、凄いよそれ!」 「旨酒(うまさけ)って三輪山に掛かる枕詞やし、案外ほんなに無茶なこじつけでもないんかな……」 照れ隠しに新はさっきの言葉遊びに戻る。三輪山は別名を「三諸山」「三室の山」という。二人にとってはその別名の方が馴染み深い。 「……三室の山って言えば『あらしふく』……竜田川で『ちはやぶる』に繋がるから、綺麗に一周した感じだね」 実際は三輪山と三室山は別の山だが、今は言葉遊びだからと二人は気にしない事にした。 「三輪山の大物主って蛇神やったな。蛇とか竜とかって水の神様やし、『味酒』って言うのも水の事やとも言うの。……ほやけどさ?」 言いかけて新は自分で堪えきれずに先に吹き出してしまった。 「新、自分一人だけで笑ってずるいよー?」 「あー、ごめん。……そもそも、ほんな事考えた切っ掛けってさ、さっき飲んだ水が美味かったでやが? ほうすると、おれにとっての『旨酒』ってさ……あれやろ?」 新は人差し指をゴミ箱に向ける。 「……ペットボトルの、スポーツドリンク……?!」 古語からの連想が辿り着かせた物がそれとあって、千早の肩も細かく震え出す。 「んー、こじつけって言うならもう一つ付け足しちゃおっかな。新の名前の『新しい』って字、音読みなら神と同音だしさ?」 「それは流石に、無理があるやろ……」 「そう? 神宮で新のかるた見て感じた事なんだけどなあ」 笑いながら千早は以前、奏に教えてもらった「千速振る」の解釈を新に話す。かるたの事を持ち出されると、新もばっさりと否定はしづらかった。 「まあ千早がそう思ったんなら、ほんでもいいけど……。ほやけど、言葉遊びだけにしとこ。おれ、神様でないし、───」 「……えっと、うん……私も、かな。神様より、こ、恋人の方が……」 最後の小さな呟きも、千早の耳はちゃんと捉えていた。 |