保湿系トライアルセット

No Regret --Nothing to hide-- 8



 やはり男と女では波の引き方が違うのか、新の方が一足先に息が整う。千早は、と目をやるとまだ余韻がやってくるらしく時折身体を震わせ、吐息が薄く開いた唇から零れていた。
(辛かったりせんのかな……)
「気持ちいいままやったら、いいんやけど……」
 起こすのも忍びないと、床に投げ出したままの薄いガウンを布団代わりに千早の身体に掛けて、自分はその隣に足を投げ出して座る。長い髪が乱れているのに気が付いて、そっと指先で梳かした。
「……ん、……う、ん……」
 どのくらいそうしていたのかは新にも分からないが、ようやく千早が目を覚ます。まだぼんやりしている瞳が新の方を向き、既に自分が起きている事に気付くと、はにかむように笑んだ。
「身体、どこも痛かったり辛かったりせん?」
「……平気。これ、新が掛けてくれた? ありがとう」
 ガウンを少しつまみ上げて千早はもう一度笑う。

 「動けそうやったら、おれ風呂の湯張ってくるけど、どうする?」
 新の問い掛けに千早は身体を起こした。大丈夫そうやの、と言い置いて新はいつもの歩調でバスルームに向かった。
「はあ……っ」
 千早の口から長い息がふと漏れる。それが何に対しての物だったのかは千早自身にも良く分からない。ただ、昨日までの自分と今の自分が大きく変わったという事は強く実感していた。
「逢いみての後の心にくらぶれば……かあ」
 学校で奏が教えてくれた歌の意味が、今ならよく分かる。
「……『昔はものを思はざりけり』? 急に、どしたんやし」
 バスルームから戻ってきた新が「逢いみての」の下の句を口に尋ねてきたが、千早の目にはその表情が訝しげに映った。その顔にさっき思った事を話すと、新の表情は普段通りの穏やかさを取り戻す。
「新しい事が始まった、か。……同感や、おれも」
 別に自分の名が「新」だからと言う訳ではないが、と言葉を継ぐと千早はクスクスと笑う。そんな彼女に自分の祖父の名も話してみれば、千早が立てる笑い声は新がずっと以前から好きだった、朗らかなトーンに変わっていった。

 「……風呂、入る?」
「一緒が、いいな」
 何か考えるように少し間をおいて、新は頷き手を差し伸べた。その手を取った千早は新に引かれるままベッドから降り立ち、歩く。ずいぶんと広いバスタブの中で千早が新の胸に身体を預けると、新の腕が優しく千早を抱きかかえてくれる。
「ここ来る前、何も隠さんっておれ言ったけど……一つだけ訂正や」
 背後から新のどこか楽しげな声が掛けられ、千早は首だけで振り返った。
「訂正って?」
「……かるたや、かるた。どう取って何送るかとかの戦略って言うか、まあ言(ゆ)ったら……おれの手の内、やの。それは絶対見せんとくわ」
 くつくつと笑いながら告げてくるそれに千早もつい笑ってしまい、勢いよく身体を反転させて言い返す。
「確かにそうだね。じゃあ私も、内緒にする。競技線挟んで、読み合うから楽しいんだし」
「ほやろ?」
 それでも千早だけでなく、他の誰にもそう簡単に読ませる気もない、と新は煽ってきた。

 「いいよ? そもそも読まなくたって私の方が聞き分け早いし」
「……『感じ』の良さだけで、おれに勝つ気か? それは目論見甘すぎやざ、千早」
 祖父が良く言っていた。「かるたで大事なのは『感じ』ではない、相手より『ちょっとだけ』早く取ればいい」と。そしてそのための取り、戦略、流れの引き込み方、そしてイメージをどれだけ教わったか分からない。
(ほやから、千早が『感じ』どんだけ良いったかって、負けん。……ちゃうわ、勝つ。いっそコテンパンにしたるでの)
 胸の裡で新は千早に勝つと誓った。
(確かに新は強いけど。……私だって練習積んで、聞き分け厳しくした。苦手だって克服してきた。……今の私には一字で取れる札が二十枚以上あるって、新、知ってる? 渡っても、あの加速でも間に合わない、間に合わせないよ?)
 千早もまた、心の中で新に譲らないと決める。どちらからともなく、強くて煌めく視線を交差させた。
「絶対、私勝つよ」
「勝つのはおれや」
 全く同時に言葉が口を吐いて出たが、新も千早もそれを不思議には思わない。それが自分達だから。

 強気な笑みを交わした後、やっと緊張感が和らいで二人の間に「恋人」の空気が戻る。千早はまた新の胸にもたれかかるように身体の向きを変えた。
「……なんかさ、私たちってどうやっても『普通の』恋人って感じには、なれないよねえ」
「まあの。ほやけど、おれ……ほんでいいって思ってる。かるたしてる時の千早は、生き生きしてて楽しそうで。その姿が大好きやし。……まあ、さっき見た千早も可愛らしいし、色っぽいけど」
 ただ新には、どちらの姿が一番なのかは決められそうになかった。
「私も同感かな。かるたから新の気持ちが流れ込んでくる。それに新の目は、私に初めてかるた教えてくれた時から、ずっと変わらない。変わってない。それが大好きなんだ。……あ、目だけじゃないよ? もちろん」
 慌てて付け足したような千早の言葉に新が可笑しそうに笑う。それからまた、千早をそっと抱き締めて言葉を紡ぎ出した。

 「おれな、好きになったのが……なれたのが、千早で良かった。
 ……昔、名人なるのが夢やって言えて。一緒にかるたしよって言えて。ほんなおれを、受け入れてくれて。
 ほやのに負けんって言ってくれる。きっとこの先も、そうやろなって信じられる千早で……良かった」
 抱いてくれている腕に手を添わせて、千早も落ち着いた声で言葉を返し始めた。

 「新は私に、自分の夢を持てって教えてくれた。かるたがこんなに楽しいんだって、教えてくれたよ。
 ……そして私を、ずっとかるたを取る相手に選んでくれた。対等だって認めてくれた。
 一緒にかるたしようって言葉で、一緒に生きていこうよって言ってくれた。
 だから、何度だって言うよ。言える事が私も嬉しいから。勝ったり負けたりしながら一緒に高め合っていこう、って。ずっと」
 言い切った千早はもう一度身体ごと向き直り、新の額に自分の額をこつん、と当てた。

 「……明日は、どんな新が見れるかな。どんな私を見せられるのかな」
「どんなおれを、見てくれるんかな。明日の千早は」
 くすぐったくて、すごく幸せだと感じるその気持ちを言葉に乗せて、また笑い合う。笑い合える事が心地よくて、そっと啄むようなキスを二人は繰り返した。









written by Hiiro Makishima