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What if 3



 新幹線の座席に腰を下ろして、太一は長々と溜め息を吐き出した。その時、ポケットの中でスマートフォンが短く振動し、太一の身体が跳ねる。誰かに見られた訳でもないが、ついきょろきょろと辺りに目をやってから、そんな自意識過剰さに苦笑して画面に視線を落とした。
「……新?」
 意外な事にメールの送信者は、ついさっき近江神宮の石段で話し込んでいた新だった。件名には新のメールらしくシンプルに『太一へ』とだけ書かれている。
(そうなんだよなあ、アイツのメールって件名見ただけじゃ、絶対内容の見当付かねえんだよな……)
 以前、大会中の結果報告などで短いやり取りをしていた時もそうだった、と太一は苦笑を押し上げ、メール本文を開く。
「……え」
 本文を読み進めるうちに太一の顔から笑みが消え、代わりに真剣な表情が浮かぶ。

 『瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ───うちのじいちゃんが高校の頃、佐藤先生に再戦予告やって差し出した歌や。じいちゃんと佐藤先生が二強って呼ばれてたライバル関係にあったのは太一も知ってると思うけど、それでも二人は生涯、大の親友やった。今度はおれから太一に送る』
 新にしては珍しく、長い文章を送ってきている。太一は画面をスクロールさせて続きに目を通した。
『実は今日の試合前、運営の吉岡先生から、おれにも佐藤先生のような存在が居るといいな、って言われてたんで、試合終わった後で先生に、太一がそういう存在やと思うって話した。独断やけど、本音や。受験とかで忙しいと思うけど、絶対また試合しような』

 新の祖父である綿谷始永世名人と、佐藤清彦九段との「二強時代」と呼ばれたエピソードは太一も何度か耳にしてはいた。当時の選手間でも誰もが認める最大のライバル関係にあり、佐藤先生は特に新の祖父との名人戦では闘志を剥き出しに戦ったことで、新の祖父が名人位に就いた時「遅咲きの大輪」と呼ばれたという。が、今度は新の祖父が一歩も譲らず名人位七連覇という偉業を成し遂げた、という事だった。
「……あ、まだ続き残ってたのか」
 太一は残りの文章を読む。
『自分も気付いたの最近やったけど、実はおれ太一のかるた、心のどっかで見下してた。狡いとこあって、千早みたいな才能がある訳でない、って……勝手に考えてた。本当にごめん。それもあって今日、全力で試合出来たのも、太一が凄い強かったのも本当に嬉しかった』
 それを読んでも太一の心に動揺はなかった。試合中自分自身、新に対して自分は格下だと思っていたし、やはりまだ追いつけていないのも事実だろう。
(……けど、認めてくれたのか。……対等だって……)
 「せをはやみ」を送るだけの価値がある相手だ、と思ってくれたという事は素直に嬉しかった。小学生の時、他の誰も指摘しなかった中、「卑怯なやつやの」と初めて正面切って言ってきた、あの新に「もう狡い人間じゃない」と言われたようで両肩がふわっと軽くなったように感じる。
『神宮で聞いてきた事とかは、やっぱり千早が自分で決める事って思う。結果がどうなるかは誰にも分からんけど、おれにとって一緒にかるたしたい相手が千早と太一やって事はきっと一生変わらんと思う』
 メールの最後はそんな一文で締めくくられていた。

 何と返信しようか、とスマートフォンを手にしたまま暫く太一は考える。
(……言葉じゃ、ねえよな。こういうの……)
 対等と認めてくれた新に対して返すなら、言葉ではなく行動だろう。それに新との間にそう多くの言葉は必要ないという思いは、福井で顔を合わせた後ずっと太一の中にあった。
(男同士だから、とかって言うより……新は自転車で特急追い掛けてきて。……おれは高校に部を作った。それで新には通じるって、どっかで分かってるから、だろうな)
 新がかるたに復帰した時もそうだった。「遅い」という一言だけで、自分達二人はちゃんと気持ちをやり取り出来ていた筈だ。
「……ふあ……」
 列車の揺れが太一に眠気を運んでくる。試合の疲れもさることながら、何年も太一の心に蟠り続けた「自分の狡さ」。そこから抜け出そうと今まで頑張ってきた事は間違っていなかった、と新のメールが心を軽くしてくれた分、逆に太一の目蓋を重くさせたようだ。
(……こういう事、正直に謝れるのは……やっぱり、凄いよな……)
 新幹線に揺られ、眠る太一の目がじわり、と熱くなる。眠りに落ちていった太一は、手にしたスマートフォンがまた短く振動した事に気付かない。誰も見ていない画面には後輩からの、新春大会の結果が表示されていた。

 「……ヤベっ、寝てた」
 新幹線が駅に滑り込み、他の乗客が荷物を下ろしたり、長時間の移動に疲れたのか大きな溜め息を吐きながら通路を移動する物音で太一は弾かれたように座席から身を起こし、自分のショルダーバッグを斜めがけにする。
「って、結果報告のメール、来てたのか。花野さんこういうのマメだよな」
 私鉄に乗り換えるまでの間に、ざっとそれに目を通す。
「A級決勝の相手、須藤さんだったのか。まーた坊主にするとか妙な賭け、言い出したんじゃねえだろうなあ……」
 もっとも今回それで坊主頭にするのは須藤の方だ。高校一年の時は、西田や駒野と一緒に千早に髪を切らせるのは勘弁して欲しいと頭を下げに行ったなと太一は小さく笑う。
(……あの日、気付いたんだったよな。……千早が好きだって。おれは成長出来たのか? 新が認めるぐらいに。……千早に、言えるぐらいに……)
 分からなかった。

 「自分の狡さや小ささから逃げないって、ずっと頑張ってきたのは確かだけど……最終的に自分がどうなりたいのか、おれにはまだ具体的な姿が見えてない」
 欠点から目を逸らさないという、目の前の小目標についてなら、太一はこれ以上ない程明確な答えを持っている。だがその努力を重ねた結果、どういう人間になりたいのか、その全体像──言わば最終的な目標がまだ掴めていなかった。
 自分、という事を考えていた太一の脳裏に、以前菫が母親に向かって言った「太一は自分になりたいと頑張っている」という言葉がふと浮かんだ。
(……花野さんには、どういう『おれ』が見えてるんだろうな。……っていうか花野さん、昔の事なんか何も知らないのに……何でおれが昔の自分から変わりたいって頑張ってるのが、分かったんだ?)
 新に眼鏡を返した時のやり取りは、千早は今も知らないままの筈だ。中学時代の級友になかなか敵わず、独り相撲を取っていた事に至っては、新さえも全く知らない話なのだ。なのに菫は太一の抱える迷いの本質をあっさり見抜いている。
「駒野の分析に役立つほどの観察力、一体どうやって培ったんだろうな、花野さんは」

 そう口にして、ふと駒野の事も気になった。ほぼずっと学年二位の駒野と自分という図式は、そのまま中学時代の自分と平井や、かるたにおいての自分と新に置き換える事ができる。
「……駒野だって、その事悩んだりしただろうに。……おれんちの事情知ってんのに、それでも一位取ろうって諦めてねえ」
 駒野に学年一位の座を奪われれば、太一はかるた部を──と言うよりかるたそのものを止めざるを得なくなる。それは母からしつこく念押しされている事で、不本意ではあるが志望校に合格するまでは従うしかない事だった。駒野もそれを知っている上で、毎回の考査に全力で取り組んでいる。
「あいつ、随分変わったよな……」
 入部してすぐの地区予選では、千早の創部動機を聞いて「誰でも良かったんだ」と言っていた。だが千早達の戦う姿を見、奏に諭されて頭を下げてからは、自分が捨て駒になってでもチームを勝ち上がらせたいと、選手としてもブレーンとしても頑張っている。
「……おれが一番出来ない事を、駒野はやってるんだ……」
 瑞沢の部内では、彼がそんな風に陰から支えてくれている事は全員が知っているが、他校の目には戦績という「形」が残る千早や西田、それに太一の名が先に入り、駒野の支えはなかなか表に出ない。太一自身もあれこれと部員に目を配り、助言も惜しまないが、それは言ってみれば「おれが支える」を表に出すサポートとも言えるだろう。
「もっと、みんなからも……吸収したい」
 今まで太一は誰かにそうした相談を持ちかけた事はないが、初めて仲間ともっと話してみたいと素直に思えた。













written by Hiiro Makishima