ものうらみ 4
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「まずね、新に謝らせて。……新の口から由宇ちゃんの名前が出てくるたびに、何か私、お腹の奥がモゾモゾしてくるみたいな、落ち着かない気分になってたの。……過去の時間に割り込めないなんて当たり前なのに。私きっと、由宇ちゃんに嫉妬してたんだ。……だから、ごめんなさい」 頭を下げた千早の表情は長い髪に隠れてよく分からない。 「ほんなの、おれかって同じやし」 新がそう言うと、千早はやっと顔を上げた。 「さっき新は自分は欠点だらけって言ったけど、それは私だって同じ。……ううん、多分もっとかな。私が人から色々言われたりしてるって、確か新も知ってたよね? ……動くと残念とか」 「あー……誰かから聞いたで、おれも知ってるんやろけど、誰が言ったんか覚えてえんな」 新がその話をしてきた相手を覚えていないのは、新自身は千早を「残念」と思った事がないからだが、今はその事ではなく千早の話を聞く時間だからと黙る事にした。 「他にもあるけど。まあそれって、私が恋愛経験乏しい、っていうか新と付き合うまでゼロだったから言われてたのもあるんだ。実際私さ、中学で制服になるまでスカートも滅多に履かない子供だったし、新や太一とも同じレベルで走り回ったり暴れたりしてた。私ね……二人と私の間に、男とか女とかって区別があるって考えてなかったの。……ただ純粋に『友達』って思ってた」 新は内心、それは恐らく千早だけがそう考えていた事だったろうと思う。自分もそうだが、特に太一は「男みたい」とからかいはしても千早の事はちゃんと女の子として見ていた。それは「千早には嫌われたくない」と涙ぐみながら眼鏡を返してきた太一を直接知っている新にとって疑問の余地のないものだった。 「少し考えが変わってきたのは、多分……高校の頃だと思う。最初は私、自分の気持ちもよく分かんなくて。手術で入院した時、新に電話した事あったでしょ? あの時、私は新が好きなんだって気がついたけど、もしかしたらまだ男の子とか思う前に、新っていう一人の人間を好きなんだって思ってたのかも知れない。……けど、部活とか大会を通してちょっとずつ、そういうのが分かってきて。……決定戦の後、やっと実感したのかも」 自分でも少し混乱してしまったのか、千早は口を閉じて言葉を探すように考え込んでいる。新は邪魔をせず向かいに黙って座ったまま、千早が再び話し出すのを待った。 「最初はね、言われてただ嬉しいんだって思ったんだけど……決定戦の後に新から好きって言われてから、色々思い出したんだ。左手で試合して勝った時に凄いなって言われたり、吉野会大会で袴誉めてくれたりとか、新が誉めてくれる度に、私の心の中に暖かいものが広がって、それが私を幸せな気分にしてくれてたんだって、分かったの。周防さんと練習試合した時も、緊張でうまく動けなかった私を楽にしてくれたのは新が言ってくれた、好きって一言だった」 そんな気持ちになった最初は、小学生の時だと千早は話を続ける。 「新にね、『綾瀬さんは、かるたの才能あると思うわ』って言われた時。それが誉められて嬉しかった最初。そしてね、あの学校でのかるた大会の時、まだ初心者の私に『じゃあ綾瀬さんはクイーンやの』って、茶化さずに言ってくれたでしょ。あれがきっと、私の原点なんだと思うの。……ちょっと大袈裟かな」 新がかぶりを振ると、千早は少し照れたように笑う。 「さっきの、欠点の話だけど。……A級になって初めての公式戦に出た時ね、対戦相手の人に言われたんだ。私は札とだけ戦ってるみたい、って。……後から思ったんだけど、似たような事は中学なんかでも言われてたんだよね、私」 ふうっと細く息を吐き出してから、千早は続きを話し出した。 「新のとこで初めてかるたした日にも言ったけど、私って思った事すぐズケズケ口にしちゃうし、熱中すると周りが全然見えなくなる。お姉ちゃんにもよく怒られたし、中学で一緒にかるたする人見つけようと思ってた時も、せっかく一緒に取ってくれた先輩の足の事とか気が回らなくて、もう一人の先輩から怒られたし」 一時期一緒にかるたを取った先輩がいた。彼女は何度も根気強く「自分にとって興味があるのは恋の歌だけ」と話してくれたが、千早の理解が追いつかなかった。当時の自分にとってかるたは「速さ」であり、歌の意味への理解はあまりにも浅すぎたのだ。 「……それに、小学生の時は……私が考え無しに口にした事のせいで新に辛い思いさせて……。私、全然成長してないんだね」 「その事だけ、訂正させてや。おれ確かにハブられて、東京でかるた出来るんか分からんかったけど、千早が言うた事のせいやとは一度も思った事ない。……その前からおれ浮いてたし、自分の方から歩み寄ろうともせんかったんやでさ」 千早は弱々しい笑みを口元にだけ浮かべた。その一件が千早にとって「無思慮に喋る事が人を傷つける時もある」という戒めにもなっているから、新本人にそう言われて安堵はしたものの、やはり心の中に留めておきたい事だった。 「高校でも部のみんなから『天然バカ』って言われてた。さっき話した公式戦の後だったかな、肉まんくんが太一と話してるの聞いちゃって、直そうとしたんだけど『いーよもう、綾瀬は天然でいろ』って。調子狂うからって」 西田と太一が話していたのは、瑞沢かるた部の部長が太一で良かったという内容だった。「人に肉まんとか机とか変な渾名付けて、それが何となく許されるような天然バカより絶対いい」と、決勝を戦った二人がまた一緒に頑張っていくと言っていた。 「……天然で構わないってさ、私の周りにいる人達がそれを受け入れてくれてるから許されてるだけで、そういうの嫌な人からは空気読めないとか変わってるとかって思われて終わりでしょ? 言い方変えるなら、私……仲間のみんなの優しさに甘えてただけって事だよね」 それが許される事自体千早が周囲から愛されている事の証左だと、本人が気付かない事の方が新にとっては驚きだった。それに仲間達は千早のそういう性格を無条件で受け入れ甘やかしている訳ではないと、新が見知った範囲の話からも分かる。 さっき新が聞いてきた事だけど、と千早の話題がまた変わる。 「……かるた続けて色々大会にも出て、かるたが強い人が私の周りに気がつけば沢山いるようになったけど……。どんな事を思ってるのとか、勝った時負けた時、どんな気持ち? とか……その心の中を知りたい、私の手が届くかどうか知りたいって、ずうっと思ってたのは……新だけ。……だから私の答えは、一つなの。……新じゃないと、嫌」 少し拗ねたような口調で千早は最後の一言を口にした。 「え、あ……。おれも……千早でないと、嫌や。……ほやけど千早を不安にさせてもたの、おれやな。ほんとに……ごめん」 帰省中の事や昔話にしても、千早を不安がらせない言い方はあった筈なのだ。そう思うとやはり自分はまだまだ人の心の機微に疎いと言わざるを得ない、と新は唇を噛んだ。 「違う、私が勝手にヤキモチ妬いて、変な事聞いたせいだから……。ごめん、新。由宇ちゃんにも、ごめんなさい」 テーブルを挟んでの頭の下げ合いが続く。先に折れたのは新の方だった。 「……おれら二人ともが、ちょっとずつ悪かった。ほんでいいやろ? それに、こうやって腹割って話せたのも、悪い事でないし。これから先もこういう事あるかも知れんけど、今日みたいにちゃんと話して一つずつ片付けていきたいって、今は思ってる」 ようやく顔を上げた千早もすっきりとした笑みを見せて頷いてきた。 「あー……ほやった、お土産渡すって言うてたのにな、おれ。順番ごちゃごちゃやわ」 まだ頬を朱くしたまま、新は紙袋を引き寄せた。 「これ、良かったら千早と家の人らで分けて食べて」 「ありがとう! ……羽二重サンド? ……えー、こういうバージョンもあったんだ」 紙袋の中を覗き込んだ千早は興味津々といった顔で言う。放っておいたら包装紙をこの場で開けてしまいそうにも見えた。 「封切ったのあるし、味見するか? ……これな、じいちゃんの好物やったんや」 新は床から立ち上がり、冷蔵庫から自分用に買った同じお菓子の個包装をいくつか手にして部屋に戻った。早速一つをぱくつく千早の表情を目にして新は思わず肩を震わせて笑う。 「……美味いか、って聞くだけ野暮やな」 テーブルの向こうには、そのままCMにでも使えそうな「美味しい」顔があった。 「どうせ単純ですよーだ」 そう答えてはいるが、千早に気にした様子はない。にこにこと残りを口に運んでぺろりと平らげた。 「あ、あと、これも……衝動買いしてもた」 鞄から小さな紙袋を取り出してテーブルに置いた。 「……開けていいの?」 頷くのを待って千早は袋の中身を出してみる。表面にベルベットが貼られたケースを開くと、水仙を象った小さなブローチが部屋の明かりを反射してきらりと光った。 「わ、すっごい綺麗。……どう、新?」 千早は着ているセーターの左胸にブローチを当てて聞いてきた。 「どう、って……。や、えっと……に、似合うてる」 たった五文字を口にするだけで新の顔は袴姿を誉めた時と同じに耳まで真っ赤に染まっている。千早がブローチを鞄に付け終わるまで、新の赤面は引く気配を見せなかった。 「けど新が衝動買いって、何かすごく珍しくない?」 新の経済観念は、ダディベアグッズを見るとつい買ってしまう自分より余程しっかりしている筈だがと千早は尋ねてみた。 「ん、まあ……の。福井帰った時、親戚の車で海の方走ったんやけど、海岸沿い一面に水仙咲いてたんや。ほん時、千早にも見せたげたいなー、って思っての。……ほんで、まあ……本物はいつか見せに連れてくで、その……予約、みたいなもん……やの」 「え、じゃあさ。来年一月の近江神宮の帰りに足伸ばしたいな」 一月の近江神宮。千早が口にしたその日付を聞いて、新は表情を引き締めてはっきり頷き返した。 |