Causes/Effects Another 3
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「……新」 細く開いた襖の向こうから、か細く呼び掛ける声があった。 「由宇、か」 背中を向けたまま、新は力なく声を返す。帰れ、と言うだけの気力もなかった。それをどう受け取ったのか、由宇は静かに新の部屋に入り、襖を元通りきちんと閉めた。 「……ごめんの、さっき。押しつけがましい事、言ってもて」 差し向かいに座った由宇には、泣き腫らした顔が見えている筈だが、その事には触れてこなかった。 「いや……おれも、怒鳴って悪かった」 新が謝ると、由宇の肩から力が抜けた。 「おれな、さっき……失恋したんや。メールもらった。二人がキスしたって。……もう一通『ごめん、さよなら』ってだけ書いてあるのが届いたで、おれも……分かった、ってだけ返信した。ほんだけや。……ほんだけの、事やったんや。当たり散らして、ごめん」 泣いた後で息が苦しいだのもあるのだろうが、新は短くぽつりぽつりと話している。それで由宇も新が受けたショックの深さ───日頃は穏和な新が、無理に聞きだそうとした自分を怒鳴りつける程の傷の深さを知った。 「ほやったんか」 由宇は詳しく聞こうとはしなかった。その抑制がきいた態度に、新は少しほっとする。 「……新」 「ん、何や」 由宇が畳の上をにじって、座る距離を詰めてきた。膝と膝がぶつかりあうほど間近に。それからそっと顔を寄せてきた。 「新が、嫌で、なかったら……」 彼女が自分を慰めようとして、そうしているのは分かるが、新も正直どうすべきか分からなくなっていた。ふわり、と鼻をくすぐった髪の香りに誘われるように、新も顔を近付けて、ごく浅く、由宇の唇にそっと自分の唇を触れさせた。 「……」 由宇の肩が小さく震えている。今までの事を吹っ切りたいと、今度は深く唇を合わせる。これがただの逃避で、彼女を千早の代わりにしている事は分かっていたが、やめられなかった。やめたくなかった。 ◇ ◇ ◇ 近江神宮勧学館。高校選手権の予選リーグが行われる大広間は各校の選手でひしめきあっている。その中に一人、観戦者の輪から外れるように立っている新の姿があった。 (……太一らが元気にしてるとこ見たら、帰ろう。それで多分、踏ん切りもつくやろ……) 短いメールを受け取った日に、二人が交際を始めた事から逃げ出すようなキスを由宇と交わしたが、それっきりにしておいた。由宇も「あんたが泣きやんだんなら、良かったわ」とだけ言って、あとは表向きいつもの日常を送ってきた。 (由宇は、あったかい。キツい事も言うけど、おれが完全に動けんくなるような事は言った試しない。……一緒に居ると、ほっとする……) 自己暗示のように心の中で何度もその言葉が繰り返されていた。 「……っ」 観戦者の中に、自分と同じに一人だけ私服の太一が立っているのが視野の端に映った。向こうも自分に気付いたのか、一瞬驚いた顔を見せた後、顎をしゃくって外に出ようと知らせてくる。 (あのメール以来、連絡取ってえんし……もう近付くなって、言いたいんやろな。……聞くわ。最後のケジメやもんな) 小さく頷いて、太一と並んで建物の外に出た。 「……よう」 「うん……」 互いにそれだけしか言葉が出ない。だが言ってしまおうと、太一が先に口を開いた。 「あいつと仲良くな。良かったじゃん、気持ち通じて」 「……え? 気持ちって何の話や? 太一と付き合ってるんやろ?」 完全にすれ違っている言葉に、太一と新はお互いの顔をまじまじと見る。 「なあ、ちょっとだけ、離れたとこで真面目に話そうぜ」 「うん、ほやな。試合の邪魔せんとこで。……あっちとか、どうやろ」 社務所の脇を足早に抜け、新は大型バス用駐車場の縁石に腰を下ろす。その隣に太一も座り込んで話し始めた。 「あのメール。あいつが『ごめん、さよなら』って寄越したから、おれは『勝手にしろ』ってだけ返事した。 お前が東京の大学に来たら、あいつと付き合い出すんだろうって思ったから。……そんなとこ、見たくねえって。あいつにキスしたのだって、仕返しみたいなもんだ。……告白は振っといて、部には残れなんて勝手な事言ったから。人の気も知らねえで、って。 ただ……新にあんな憂さ晴らしみたいなメール送っちまった事だけは、マジで謝るよ。……悪かった」 太一が長々と息を吐いている。それが引いてから、新は言葉を紡ぎ出した。 「おれもあのメールには、分かった、ってしか返事せんかった。 太一と付き合う事にしたんやろうで、おれが邪魔したらあかんって。大学も地元にした。 ……メールの事は、謝らんくていいよ。どっちみち、おれもう……引き返す気も、やり直す気も、ないんや。何かな、心のどっかが……ぽっきり折れたって言うんかな。 言葉悪いけど、ほんとに二人が付き合ったとしても、何かもう、どうでもいいんや」 新もやはり、長々と息を吐き出した。太一は一言「分かるよ」とだけ返してきた。男同士だからか、そのやり取りでもう十分だという気がする。それ以上は何も言わず、ただ並んで座りながら、これが最後の会話だろうと互いに思っていた。 「あ……」 微かな声が駐車場の反対側、近江神宮の拝殿に近い場所から聞こえてきた。新も太一も「感じ」まで衰えた訳ではないから、声の主が誰かはすぐに分かる。そうでなくとも、長い髪と高い頭身で一目瞭然だった。 「……そう言や、名簿に名前なかったな」 「おれ名簿も見てえんかった。どうせ中に居るやろうって思ったし」 お互いそれだけを言っていると、声の主である千早が意を決したようにこちらに駆け寄ってきて、アスファルトの上に正座すると頭を下げてきた。 「新にも、太一にもどれだけ謝っても足りないって分かってる。だけど、本当にごめんなさい。私のせいで二人に苦しい思い、させた事……」 太一が新にどこかうんざりしたような視線を向けてきた。どうする、と問いたいのは表情で分かる。新にしても、今更蒸し返してどうなる、という気持ちしか持てなかった。 「顔、上げねの。……正直、もうどうでもいい事やし。ち……綾瀬さんは、思った通り生きてけばいいが」 感情のこもらない平板な声で、新は六年ぶりの呼称を使って言葉を返した。 「許す許さねえじゃなくて、おれも、あら……綿谷と同感だ。もう、どうでもいい。綾瀬に怒る気すら、失せちまってんだ」 太一の口調も冷めたものだった。苗字で呼ばれ、反射的に千早が顔を上げた先には、ほとんど無表情でこちらを見ている二人の姿があった。新が手を払って縁石から立ち上がる。太一もそれに合わせて立った。 「おれ、行くわ。……ほんなら元気での、真島。……綾瀬さんも」 「……ああ。綿谷、長話で悪かった。お前も元気でな。……じゃな。……綾瀬」 二人はそれぞれ別の方向に歩み去る。一応、他の部員の試合は見ておこうと思った太一は勧学館へ。そのまま福井へ帰る新は駅方面の坂へ。一度も振り返らず、立ち去った。 「……っ、う……。ご、め……っ、う、っく……」 駐車場に取り残された千早は、どちらの背中も追い掛けられず、ただ泣き続ける。二人に「綾瀬」と呼ばれた事で、六年間育んだ……育んできたと思っていた全てを、自分の軽はずみな言葉が粉々にし、それはもう二度と戻らないと思い知って、泣く事しか出来なかった。 |