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No Regret -- you must not get away -- 4



 俯いた千早が震えている。菫も奏も、泣いているのかと最初思ったが、そうではなかった。
「私……自分にすごく腹が立つよ! 小学生の時、あんなに痛感したのに! 新があんな目に遭った切っ掛けが、私の言葉だったのに! なのにまた、太一にも同じ事して! なんで忘れたの?! なんで、何で私はそこから学べないの!」
 出口のない自分自身への憤りが、千早を震わせていた。
「落ち着いてください、千早ちゃん!」
 笞のような奏の声が飛び、流石に千早も身を竦める。
「千早ちゃん、千早ちゃんがかるたで強くなったのは、過去の自分がどうだったかという所から学んで、欠点を克服してきたからです。それと同じように、どんな事においても過去から学ぶ、それが人間です。気付けたなら、千早ちゃんだって学んでいるという事ですよ」
 一転して柔らかい声音で告げられた一言に、千早は何故か聞き覚えがある、と自分の記憶を辿った。

 『学びなさい。何でもいいから、学びなさい』
 かるたが出来ないと泣いた千早に、去年担任だった深作が掛けてきた一言。
(宥めるためでも、責めるためでもなかった。……ご隠居は、ただ私のために言ってくれたんだ……)
 そして目の前に居る菫や奏も、同じ理由で千早に話しかけているのだ、と千早はようやく理解し始める。千早は座り直すと床に両手を付いた。大事な事を話す時の新と同じように。詩暢との対戦で思い悩んでいた時、新に対してしたように。
「二人とも、本当にごめんなさい。太一にした事にはまだ、自分がどうしたらいいか分からないけど……畳の上に居る時は、悩み事とか一度どこかに置いておく。……一年生とも、私の全力で取る。今はこんな程度しかキャプテンの責任、取れないけど」
 千早の言葉に力が戻ってきたのを感じ、奏と菫は視線だけで頷き合う。

 「綾瀬先輩。きついかも知れないこと聞きますけど、いいですか」
 さっきは答えられなかった菫の問いに、今度はまっすぐ顔を見て千早は応えた。
「綾瀬先輩たち三人が幼馴染みだって話は、去年近江神宮で聞いてます。そして間違いなく今年も綿谷さんは出場してくる筈です。きっと、先輩に聞くと思います。真島先輩が居ないのはどうしてか、って」
 去年の夏、千早自身が新に告げた。「チームに興味ないなんて言わないで」と。今年の夏までに新が学校でメンバーを募り、地区予選を突破してくる可能性は高い。もしそれが叶わなかったとしても、新なら個人戦にエントリーしてくるのは確実だろう。それはつまり、新がそう問うてくる事は避けられないという意味でもある。
「……うん。新は訊いてくるって、私も思う。……答えられないなら、私はまだ新に返事をする事も出来ない」
 正直に退部したと伝えるつもりだと千早は言葉を継いだ。ただしそう答えるなら、その時まだ太一は部に戻っていないという事になる。

 「花野さんの言うことは説得力がありますし、千早ちゃんが今言った事も、もっともだと思います。でも心の準備をしておかないと、千早ちゃんもペースが乱れるでしょうが、同時に綿谷さんのかるたも乱す事になりかねません」
 自分が心を定めたと知ると、奏は自分の言葉通り千早を支える事を告げてくれた。
「……表向きの理由は、真島先輩本人が言った受験勉強に専念したい、でいいと思います。それが一番、綿谷さんに負担をかけない答えだと思いますから。……その後で先輩が揺れるのは自分でどうにかする問題ですし、私達は何も言いません。そうですよね? 大江先輩」
 菫もまた、千早に対して自分なりの考えを口にする。奏はその問いに笑って頷いた。
「今は私、太一に直接働きかける事はしないでおく。けど、女帝に聞いてみる。……退部届、休部扱いに出来ないかって」
 太一自身が部に、かるたに戻ろうと思うかどうかは分からない。けれど戻りたくなった時の居場所は残しておきたい、と千早は二人に話す。その声はさっき「太一に何が出来るか分からない」と告げてきた時と違い、静かで思い遣りに満ちた響きがあった。
「……私、付き合いますよ。女帝への直談判。……真島先輩の居場所を残すって話なら、私もそうしたいんで」
 こうした事に菫の計算高さは真価を発揮する。奏の笑みは苦笑に変わってしまった。

 まだ全てに答えが出た訳ではないが、逃げないと決めた千早の表情は試合の時のそれに似ている。
「やっぱり、そうやって漲っている時が一番千早ちゃんらしいですね。でも一歩ずつ、行きましょう」
 奏も試合中に冷静になれと言う時のような声音で告げてきた。
「うん。ともかくまずは、田丸さんからだよね。……私達が創ったかるた部をバラバラになんか……させない」
 そのために全力で叩く必要があるなら、その時は悩みも迷いも一旦忘れよう。
「実際、A級ってくせ者っていうか怪物って言うか……そういう人ゴロゴロいますよね。まあ選手が昇り詰める級だから当然なのかもですけど、それを舐めるなって教えてやって下さいよ」
 原田先生なんか、A級同士の対戦なら子供相手でも全力で取りますよ、と菫は苦笑を浮かべながら言葉を継ぐ。ようやく千早も彼女と同じ表情で返せた。

 「そうだね。自分の先生がそうしてるのに、弟子の私達が逃げ腰なかるたは取れない。私は私の武器で攻めていく」
「千早ちゃんなら出来ますよ。たとえ今は聞けない『かぜを』を落としても、です」
 迷いがない時の千早なら二十枚ちょっとの札は一字で取れる。奏は千早にとって一番厳しい話を奏は敢えて持ち出し、そんな風に言った。
「迷い。……その通りだね。でも、もう……逃げる事だけは、しない。……札に失礼だから」
 やっと千早の口からその一言が出て、菫と奏はにっこり笑い合った。

 「……私ね、今ちょっと思ったんだけど……今度田丸さんと取る時。一対一でももちろん取るけど、チーム分けしても取ってみたいって、そう思った。チームの仲間を信じ合って、補い合って戦う『強さ』、個人戦とはまた違うその強さ。それを教えたい」
 だからチーム分けをするなら、自分と相手両方のチームの実力差があまりないようにメンバーを分けたい、と千早は告げる。
「団体戦は自分一人だけ強くても、勝てない事ありますもんね。……て言うか彼女、試合前の掛け声自体ちゃんと言えるのか、ちょっと謎ですけど」
 菫の言葉に千早は頷き、チームに分けるなら自分と肉まんくん、かなちゃんと机くん、それに筑波くんと菫ちゃんはそれぞれ別のチームに振り分けたいと言葉を継いだ。
「あとは一年生を二人ずつだけど、私と肉まんくん以外はD級で団体戦出た経験あるから、初心者の一年生にはそれで通じるんじゃないかな。……仲間が頑張ってくれるから、自分も最善をつくすんだ、って。瑞沢の実績は、そうやって培ったものなんだ、って」

 「でも千早ちゃん。田丸さんが入ったチームが勝ったら、分かってくれないかも知れないですよ?」
 奏が問う。確かに彼女が入るチームは必然的にA級が二人になる。その分勝率は上がるだろう。
「……その後に、一対一で取れば分かると思うよ? ……さっき菫ちゃんが勧学館で新が聞いてきたら、って言ったけど。私、新に胸張って自慢したいなあ。これがうちのチームなんだよ、団体戦なら新にも負けないんだよ、って」
「先輩、それ自慢って言うより『宣戦布告』ですよ」
 菫がすかさず突っ込むが、それでいいんだよ、と千早はあっさり答えてきた。

 「新はきっと、その言葉を受けて全力で挑んでくるから」
 今年の瑞沢は前年度優勝校としてその挑戦を受ける立場にある。
「だから叩く。それが挑んでくる相手への最大限の敬意だから」
 初めてかるたを取った時、初心者どころか歌を半分覚えたかどうかという自分に、新は一切手加減をしなかった。去年右手を負傷して臨んだ個人戦、詩暢もやはり手加減なしで取った。
「……二十三枚差だったけど、嬉しかった。だから今度は私の、ううん、私達の番なんだ」

 そう言い切る千早を見て、奏は思う。二人の間には、かるたを通しての深い信頼がある。敵味方や住む場所さえ問題にならないほど、心の真ん中にお互いの存在があるのではないか、と。それは恋愛という尺度では測りきれない関係だと。
(大好きだからこそ、全力で。……切磋琢磨しながら、同じ目線で一緒に生きていこう、って。……何にも代え難い相手なんだ、って。……ちょっぴり、羨ましいです)
「かなちゃん、菫ちゃん。……私達みんなで、楽しいかるたしよっさ」
 決定戦で耳にした、新とは違うイントネーションで紡がれた、新の言葉。チームメイトへの最大級の敬意が込められた、力強い一言。
「そうですね。楽しく、全力で。全力だから楽しい、そんなかるたを取りましょう」
 今日のこの話し合いに来ていない、男子部員もきっとそう答えるだろう。
「……それが、瑞沢かるた部ですよね。先輩」
 三人は顔を見合わせて静かに頷き合った。








written by Hiiro Makishima